と。
「じゃ、一寸これに返事を書いてやって下さい」
と、半紙に書いたヤスの手紙を見せた。面会させてくれと来たが、会わされないから返事だけ書けというのだ。警察備品らしい筆で、
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「国の父から電報が参りまして、すぐかえれ、帰らなければこれきり家へ入れないといってまいりました。まことにすみませんがかえらしていただきます。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]ヤス
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  中條様」
[#ここで字下げ終わり]
 紡績絣に赤い帯をしめた小娘のヤスの姿と、俄にガランとした家と、そこに絡《から》んでいるスパイの気配とをまざまざ実感させる文章であった。仰々しい見出しで、恐らくは写真までをのせて書き立てた新聞記事によって動乱したらしい外の様子も手にとるように察しられる。
 ヤスの生家は×県の富農で、本気なところのある娘だがこういう場合になると、何と云っても真のがんばりはきかない。階級性というものはこういう時こういう具体的な形で現れて来る。ヤスについて自分は兼々そう思っていたことだし、同時に、僅か二ヵ月暮したばかりの動坂の家が空になってもかまわないと思った。特高は自分の横顔をしきりに注視しているが、自分は今度のことを機会に自分達の全生活が全くこれまでと違う基調の上に立てられるようになるものだということは知っているのだ。
 自分は、立ったままテーブルの上にあった硯箱《すずりばこ》を引きよせ、墨をすりおろして筆先をほごしながら、
「御覧なさい、あなたがたのデマの効果がもうあらわれた」
と云い、短く返事を書いた。それを読みかえしていると、後から一人の男がスとよって来るなり、私の手からその半紙をひったくり、黒いむずかしい顔でそれを読み下した。
 グッと腕をのばして、私にはかえさずじかに特高に渡す。特高はいやにお辞儀をしてガラス戸をしめて出て行く。――
 私は、謂わばそのときになって初めてその男とその室の様子とに注意を向けたのであった。
 髪をこってりと櫛目だてて分け、安物だがズボンの折目はきっちり立った荒い縞背広を着たその男は、黒い四角い顔で私を睨《にら》み、
「そこへかけて」
 顎で椅子をしゃくった。自分は腰をおろした。縞背広は向い合う場所にかけ、
「警視庁から来た者だ、君を調べる!」
「――そうですか」
 それきり何も云わず、ポケットから巻
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