て入れられて来たが、留置場は冷淡な空気であった。何もとらずにつかまった。それが強盗としてのその男に対する与太者たちの評価に影響しているのであった。看守だけが、
「――つまらんことをやったもんだな。顔を知られてるにはきまってるでねか。今度やるなら、もっとうまいとこやるんだ! う?」
 監房の金網に顔をさしよせて内を覗きながら云っている。その二十三四の八百屋だという男は、ガンコに頭をたれたきり腕組みをして身動きもしない。
 廊下の羽目からは鋭い隙間風が頸のうしろにあたって、背中がゾーゾーする。自分は羽織の衿を外套の襟のように立てて坐っている。昼になると、小使いがゴザの外のじかにペタリと廊下へ弁当を置き、白湯の椀を置いた。弁当から二尺と隔らないところに看守の泥靴がある。

 保護室があいた。見ると、今野大力が洋服のまま、体を左右にふるような歩きつきで出て来、こっちへ向って色の悪い顔で頬笑み、それから流しの前へ股をひらいて立って、ウガイを始めた。風邪で喉が腫《は》れ、熱が高いのである。
 頃合いを見て自分はゴザから立ち上った。そして彼の横をゆっくり通りすがって便所へ曲りしな小声で訊いた。
「ニュースない?」
「蔵原、やっぱりひとりらしい」
「…………」
 留置場の便所には戸がない。流しから曲ったところが三尺に一間のコンクリで、突当りに曇った四角い鏡が吊ってある。看守が用便中のものを監視する為の仕かけである。窓のない暗い便所にかがんでいる間、自分の頭は細かくいろいろな方面に働いた。そして、聞いたばかりの短い言葉から推察されるあらゆる外の情勢を理解しようとして貪慾《どんよく》になった。出て来て手を洗いながら又訊いた。
「拘留ついた?」
「中川の奴、二十日だって。……ブル新、盛に『コップ』をデマっているらしいよ」
「ほか、無事かしら」
「わかんない。……でも」
 一寸言葉を区切り、やや早口で、
「――無事らしいね」
 彼が誰のことを云っているか分って、私は口に云えぬ感じに捕えられ、黙って大きく深く合点をした。

 特高が留置場へ来た。
 自分を出させ、紺木綿の風呂敷でしばった空弁当がつんであるごたごたした臭い廊下へ出るといきなり、
「女中さんが暇を貰いたいらしい様子ですよ」
と云った。いかにも気を引いて見ようとする抑揚だ。自分はむっつりして黙って歩いた。
 二階の塵っぽい室へ入る
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