潔な留置場に押しこまれているよりずっと健康のためにもよい、等云った。自分はよく眠り、体に気をつけてはいるが、膝頭がこの頃ではガクガクして二階の昇り降りが不便なのは事実である。
十二日に、看守が、
「又、君たちの仲間がひっぱられたよ」
と云ったので、何事かと思い不安を感じた。特高で十一日の作家同盟第五回大会が解散された新聞を見せた。
「これじゃ、同盟は全部留置場の内へ引越したようなもんじゃないですか、ハッハッハ」
主任は小気味よさそうに高笑いしている。自分はそのこまかく折目のついた新聞を手にとり、同志川口浩、徳永、橋本、貴司などが引致されたというところを繰かえして読み、これらの人々の闘争を、身近に感じるのであった。
大会が持たれたという事は、しかし何とも云えぬ鼓舞であった。自分が書く筈で書き終えなかった婦人委員会の報告も、して見れば、誰かによってちゃんと書かれているのだ。そう思い、凜《りん》としたよろこびに満たされた。外では皆結束して働き、自分の部署は、今此処で正しいわれわれの主張のために闘うところに移されてある。それを貫徹するこそ役割の遂行である。そう、きつく確信をもって感じるのであった。
五月十五日の夕方、三四度ドカドカと大勢して裏階子《うらばしご》をかけ上る跫音《あしおと》が留置場まで聞えた。それきり何のこともない。
すると、次の朝、無銭飲食で二十日つけられている髪の毛ののびた雑役が、鉄扉の小さい切り戸から弁当を入れてくれながら、
「犬養がやられた」
と云って去った。――犬養がやられた。……犬養は首相である。何処で? いつ? 反動団体の仕業であるのはすぐ感じられた。味噌汁をついで呉れている間にこちらから訊いた。
「どこで?」
「官邸。……軍人だって」
「ふーむ」
犬養暗殺のニュースは、私に重く、暗く、鋭い情勢を感じさせた。閃光のように、刑務所や警察の留置場で闘っている同志たちのこと、更に知られざる無数の革命的労働者・農民のことが思われた。
十六日留置場の看守は交代せず、話しかけられるのを防ぐつもりか、小テーブルに突伏して居眠りばかりしていた。
数日経って特高へ出されると、主任が、
「どうです!」
と、煙草のヤニのついた歯を出してにやにやした。
「ききましたか?」
「……犬養さんが殺されたって?」
「何しろ、撃てッ! と号令をかけてやったんだそう
前へ
次へ
全39ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング