いと云った。
「――しかしですね」
 清水はぐっとのり出した。
「その文章そのものはそうかもしれないが、前後との関係で、いけないんだ。……大体[#「大体」に傍点]、戦争の記事を扱うのがいけない[#「戦争の記事を扱うのがいけない」に傍点]」
「それは妙だ」自分は云った。「キングを御覧なさい。婦人倶楽部を御覧なさい。子役までつかって戦争の記事だらけです」
「冗、冗談云っちゃいけませんよ」
 不自然にカラカラと清水は笑った。
「扱いようの問題じゃないか。……つまりこういう風に扱うのはいけないと云うわけなんです」
「だが、戦争をしたって不景気が直らず、却ってわるいというのはお互に知りぬいている事実ですよ。従って、戦争が自分たちのためにされているものでないことがわかるようになるのも実際のなりゆきで、そう思うな、ということは出来ない。いいわるいより、先決問題は現実がどうであるかというところにあるわけでしょう」
 清水は、半面|攣《つ》れたような四角い顔をハンケチで拭いて、それをズボンのポケットにしまいながら、声を落して云った。
「よしんば実際はそうであろうとも、この世の中には現実のままで人前には出せないことがあるもんです。そうでしょう? え? たとえば、夫婦関係は現実にはわかり切ったものであるが、それを人前で行う者はない。え? そうでしょう? ありのまま云っては都合のわるい[#「ありのまま云っては都合のわるい」に傍点]ことがある。――ね? そこのことです」
「誰に[#「誰に」に傍点]都合がわるいんでしょう?」
「…………」
 清水は、ふと気を換えるように、
「この詩を知っていますか」
と、イガグリ頭を仰向けるように眼を瞑《つぶ》り、節をつけて何かの漢詩を吟じた。古来孝子は親の、名を口にするのさえも畏れ遠慮するというような意味のことをうたった詩である。
「わかりますか? え? よく聞いて下さい」
 もう一遍、朗吟して、
「この気持だ。――え?」
 満州侵略戦争とそのためのひどい収奪のことも、その戦争の命令者である〔二字伏字〕のことも、人民は見ざる[#「見ざる」に傍点]、聞かざる[#「聞かざる」に傍点]、云わざる[#「云わざる」に傍点]、奴隷として搾られ、そして死ねというわけである。これは理性ある人間にとって不可能なことである。憤りと憎悪とが凍った雪を踏むようにキシ、キシと音をたて
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