の間をさがし、
「――見ましたか」
と一枚のビラをよこした。共青指導部の署名で出された、赤色メーデーを敢行せよ! というビラである。
「そういうものが、こっちの方へ却って早く入るんだから妙でしょう」
狡い、ひひという笑いかたで太い首をすくませた。
「マァ、この懸け声がどの位実現されるか見ものだね」
留置場へ降りがけ、教習室をとおりぬけたら正面の黒板に、
不逞《ふてい》鮮人取締
憲兵隊との連携
と大書してある。
いよいよメーデーだ。警察じゅう一種物々しい緊張に満ちている。非番巡査まで非常召集され顎紐をかけ脚絆をつけた連中が内庭と演武場に充満して佩剣《はいけん》をならしている。
高等室では主任と宿直だけがのこり、署の入口のところに二台大トラックが止って、二人の普通の運転手がその上でだらしなく居睡りをしている。
頻りに電話がかかって来た。
「ハア、ハア、今朝共同印刷へ、明治大学の学生と鮮人労働者が三十人ばかり押しかけましたが……それだけです。ハ、ハ」
或は、
「こちらは異状ありません、ハ? いや何とも云って来ません」
警視庁で全市の警察から情報をあつめているのだ。
丁度上野でデモが解散という刻限、朝から晴れていた空が驟雨《しゅうう》模様になって来た。
「こりゃふるね」
「同じふるなら、早くたのみますね」
かわりがわり本気で窓から空模様をうかがっている。黒雲は段々ひろがった。やがて若葉の裏を翻して暗く重く風が渡り、暗澹とした夕立空の前にクッキリ白い火見櫓が立ち、頂上のガラスを鈍く光らせたと思うと、パラリ、パラリ大粒なのが落ちて来た。自分は思わず心の内に舌うちをした。
ザーッ、ザッと鋪道を洗い、屋根にしぶいて沛然《はいぜん》と豪雨になった。
「ふーゥ、たすかった!」
「これでいい。いい塩梅だ!」
「これだけ降っちゃデモれないからな」
彼等は、上野の山で解散したデモのくずれが、各所で狼火《のろし》のような分散デモを行うことを、かくも戦々兢々と恐怖していたのである。
自分は初め、何のために高等へ出しておかれたのか分らなかった。初めは恐らく自分に日本の発達した警察網の活動ぶりを示威するつもりであったのだろう。けれども、現実の結果は、彼等の心配、周章の証人となったわけである。
メーデー警戒で、看守は四十八時間勤務をさせられている。今年のメーデーは特
前へ
次へ
全39ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング