?」
「……どっち道手術しなけりゃなりませんな」
 明らかに責任回避の態度を示す医者をとりかこんで皆がドヤドヤ出て行った。今晩が関所である。誰しもそれを感じた。監房の真中に布団を敷き、どうやら、思いきり脚をのばして独り今野が寝かされている。こんな扱いを留置場でされることは、もう最期に近いと云うことの証拠ではないか。枕元に、脱脂綿でこしらえた膿《うみ》とりの棒が散乱し、元看護卒だった若者が二人、改った顔つきで坐っている。
 今野は唸っている。唸りながら時々充血して痛そうな眼玉をドロリと動かしては、上眼をつかい、何かさがすようにしている。自分は、廊下の外から枕元の金網に鼻をおしつけるようにして見守った。間もなく、今野は唸るのをやめ、力いっぱい血走った眼で上眼をつかいハッ、ハッと息を切りながら、
「中條さん……切ないよゥ」
 自分はたまらなくなった。錠をはずしてある鉄扉を押しあけ、房の内に入った。高熱で留置場の穢れた布団が何とも云えぬ臭気を放っている。自分は、垢と病気で蒼黒く焼けるような今野の手を確り握り、やつれ果てた頬を撫でた。
「何だか……ボーとなって来たよ」
「頭、ひどく痛い?」
「頸の……ここが(手をそろりと後へやって)痛い……体じゅう何だか……」
 自分は、全く畜生※[#感嘆符二つ、1−8−75] と思い自分の体までむしられる思いがした。
「――今野!」
 夢中になりそうになる、忠実で、強固で、謙遜な同志の膏《あぶら》のにじみ出た顔へぴったり自分の顔をさしよせ、私は全身の力をこめて低く呼んだ。
「今野」
 その声で薄すり目をあけ、こっちを見た。
「まだ死んじゃいけないよ。いいか? 口惜しいからね、死んじゃいけない! いいか?」
「ああ」
「しっかりして……」
「あァ……」かわいた唇をなめて微かに「わかってるヨ」
 二人の若者は、きっちり坐っている膝頭に両手を突っぱり、
「俺たちのような、ヤクザとは違うんだから全く気の毒です」
と云った。自分は一寸でも脳の刺戟を少くするため、額をひやしている手拭を両目の上まできっと下げて置くように頼んだ。
 いつもならとうに鼾《いびき》がきこえている時刻なのだが今夜はどの監房も目をさましている。それでいて別に話し声もしない。自分は廊下に、窓の方を頭にして横になった。

 翌朝、平常どおり八時に出勤して来て凡そ十時頃から、やっと今野
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