現象は、探求されている日本文学史上のあらゆる近代性確立の問題の根蔕において繋がっているのであって、買うのはどういう人々だろう。荷風、潤一郎は昨今では闇屋の作家である。と云われている言葉がある。新聞には三千五百円の句集ということが話題にされているけれども、この間の晩、三省堂の店頭に据えられたマイクは、あんなに書籍払底を訴えていた。それを訴える声々は、どれもみんな若かった。その声よりも稚い国民学校の子供たち、絵本のほしい子供たち、その子たちはアメリカの子供がたべても美味しいミカン、という奇妙な唱歌をうたって、アメリカから送られたきれいな本を三越の展覧会でごらんなさい、と教えられている。国民学校や中等学校は教科書が絶対に足らない。それは、そうなる。一冊三千五百円の教科書はないから。よしんば、親はその句集を買っても、子供の教科書は、人間の成長に入用な教科書だから、儲けがきまっているから、ない。文学の生活とその本の出版ということに、こういう現実はみんなかかわって来ている。
昔、北原白秋が羊皮にサファイアやルビーをちりばめた豪華版の詩集を出す広告をしたことがあった。実現したかしなかったのか知らな
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