合図の旗
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)木魂《こだま》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四六年四月〕
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日本の民主化と云うことは実に無限の意味と展望を持っている。
特に一つ社会の枠内で、これまで、より負担の多い、より忍従の生活を強いられて来た勤労大衆、婦人、青少年の生活は、社会が、封建的な桎梏から自由になって民主化するということで、本当に新しい内容の日々を、もたらされるようになるからである。
婦人問題、その問題を何とか解決してゆこうとする婦人運動。それは永年日本にも存在していた。けれども、それらの婦人運動は、婦選運動をもふくめて、まことに微々たるものであった。そういう運動に携っている婦人たちに対して、一般の婦人が一種皮肉な絶望の視線を向けるほど微々たるものであった。
社会の内部の複雑な機構に織り込まれて、労働においても、家庭生活においても、その最も複雑な部面におかれている婦人の諸問題を、それだけきりはなして解決しようとしても、それは絶対に不可能であった。世界を見わたせば、一つの国が、封建的な性質からより民主化されて来るにつれて、それと歩調を一つにして、婦人の社会生活全面が、変化し、より合理的になって来ている。
世界には、現在のところ、興味ある民主社会の三つの典型が並びあって生活している。朝鮮、中国や日本のように漸々と、封建的なのこりものをすてて近代民主化を完成しようと一歩ふみ出した国。アメリカ、イギリスのように資本主義の下での民主主義を完成して更により発展した民主主義社会への見とおしにおかれている国。ソヴェト同盟のように、社会主義的民主社会に歩み入っている国。
その国々で、婦人たちの社会生活条件は其々に違っている。未熟な段階から、より進んだ段階。更にそこまで進んでも猶人間社会の発展の可能は、かくも大きい希望にみちたものであるということを語る段階。ここにも三通りの、生活の悦こびの段階があるのである。
三通りの発展の段階があるにしても、唯一つ、最も基本的で共通な点は、民主社会においては、婦人が、全く人口の半分を占める男子の伴侶であって、婦人にかかわるあらゆる問題の起源と解決とは常に、男子女子をひっくるめた人民全体の生活課題として、理解され、扱われるということである。婦人の生活の朝夕におこる大きい波、小さい波、それは悉く相互関係をもって男子の生活の岸もうつ大波小波である現実が、理解されて来る。女はどうも髪が長くて、智慧が短いと辛辣めかして云うならば、その言葉は、社会の封建性という壁に反響して、忽ち男は智慧が短かく、髪さえ短かい、と木魂《こだま》して来る性質のものであると、民主社会では諒解されているのである。
本誌の、この号には食糧問題、労働問題、法律上の諸問題、生活再建の市民的技術上の問題、再婚問題、産児制限の諸問題が、特輯として扱われている。
これらの題目のうちで、過去二十年間、日本の婦人雑誌が扱ったことのないというトピックが、只の一つでもあるだろうか。大衆的な某誌は、その反動保守的な編輯方針の中で、色刷り插絵入りで、食い物のこと、悲歎に沈む人妻の涙話、お国のために疲れを忘れる勤労女性の実話、男子の興味をそそる筆致をふくめた産児制限談をのせて来た。
また、或る婦人雑誌はその背後にある団体独特の合理主義に立ち、そして『婦人画報』は、或る趣味と近代機智の閃きを添えて、いずれも、これらのトピックを語りふるして来たものである。
ところが、今日、これらの題目は、この雑誌の上で、全く堂々とくりかえして、並んで進出している。しかも、その並びかたについて編輯者は、一つも所謂気の利いた工夫を加えていないらしい。粋とか、よい趣味とかいう人造香料をも加えていない。諸問題は、生のまま、いくらか火照《ほて》った素肌の顔をそこに生真面目に並べている。
それが、却って、云うに云えない今日の新鮮さ、頼りふかい印象を与えているのは、どういうわけなのだろうか。
日本の民主化ということは、大したことであるという現実の例がこの一事にも十分あらわれていると思う。
こういう、云わば野暮な、問題のありのままの究明が、私たちの心に訴える力をもっているのは、決して只、その問題の書きかたがこれまでの「女の問題」の範囲から溢れた調子をもっているからというばかりではない。この種の問題が、ここで扱われているような場合に――食糧問題は、台所やりくりではなくて、男も女もひっくるめた全人民の生存のための問題であり、女子労働の悪条件と悲劇的な女子失業の現象は、とりも直さず全勤労人口の問題であるとして捉えられたとき――問題のそういう把握を可能としている日本社会の今日の動向
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