色のとり合わせが美しく、明るい卓の上に輝やいた。女将は仲間でお茶人さんと云われ、一草亭の許へ出入りしたりしていた。小間の床に青楓の横物をちょっと懸ける、そういう趣味が茶器の好みにも現われているのであった。
「――これ美味《おい》しいわね、どこの」
「河村のんどっせ」
章子と東京の袋物の話など始めた女将の、大柄ななりに干からびたような反歯《そっぱ》の顔を見ているうちに、ひろ子は或ることから一種のユーモアを感じおかしくなって来た。彼女はその感情をかくして、
「一寸、あんたの手見せてごらんなさい」
と云った。
「手《てて》どすか? 何でどす?」
女将は、白い木綿の襟を見せた縞の胸元を反らすようにし、自分の掌を表かえし裏かえし見た。
「まあ、一寸見せてさ」
「へえ、何どっしゃろ……偉い可愛らしい手《てて》どっせ」
肉の薄い血色のわるい掌であった。然し、彼女がたった三本だけ名を知っている掌筋のうち、恋愛の筋がいかにもよそで聞いた女将の身の上と符合しているようなので、ひろ子は少し喫驚《びっくり》した。
「ほらね、だからあらそわれない!」
「なんどす」
「手の筋は正直だからね、女将さんがちょいちょいは浮気すると書いてあるの」
章子が、ふっとふき出しそうになるのを手で顎を撫で上げて胡魔化し、ひろ子へ流眄《ながしめ》を使った。章子はひろ子の魂胆を感づいたのであった。ひろ子も笑い出したが、
「本当よ、でも」
と力を入れて云った。
「そか? どれ」
章子は座布団ごとそばへずりよって来た。
「どうです女将さん、当りますか」
片手をひろ子に執られたまんま、息をのむようにし、
「こわいもんどすなあ」
そして、本気に、
「あんたはん、ほんまに手相お見やすのんどすか?――どの筋がそうどす――浮気するたらどこに書いとおす」
ひろ子は思う壺に嵌《はま》りすぎて、おかしいのと照れるのとで、少し赧くなりながら説明した。
「ほら、ね、この人指し指と中指の間から出てる筋、これがずっと一本で通ってないでしょう、初め一寸で一旦切れ――これが十九年前の分よ。それからこうやってまた一寸、また一寸。――御覧なさい、あとは数知れず、じゃないの」
「――浄瑠璃や」
二人は、女将が直ぐは笑いもせず、黒目をよせるような顔をして猶しげしげ自分の掌を見ているので、二重におかしく失笑した。女将は、彼等に身上話をきかせ、その中で、十九年前仲居をしていたとき一人の男を世話され、間もなくその男の児と二人放られて今日まで血の涙の辛苦で一人立ちして来たと、賢女伝を創作した。
「女《おなご》ほど詰らんもんおへんな、ちょっとええ目させて貰《もろ》たと思《おも》たら十九年の辛棒や。阿呆《あほ》らし! なんぼ銭《ぜぜ》くれはってももう御免どす」
然し、それは嘘なのであった。そんな作り話をきかされる柄に見えるかと、彼等は宿へかえる路も笑ったのであった。
女将が階下へ下りかける、階子《はしご》口ですれ違いに、
「ゲンコツぁん、お居やすか」
「まだ寝んねおしいしまへんのん」
桃龍と里栄が入って来た。里栄は、都踊りへ出たままの顔と髪で、
「おおしんど!」
直ぐそこにある茶を注いで飲んだ。
「何でそんなに息切らしてんのや」
「走って来たんやわ」
「なあ、ヘェ、桃龍《ももりょ》はんちゅうたら、あての手無理こ無体に引っぱってどんどんどんどん走らはるのやもん……」
桃龍は、文楽人形のようなグロテスクなところがどこにかある顔で対手を睨むような横目した。
「――怪体《けったい》な舞まわされて、走らずにいられへんわ」
都踊りの最後の稽古の日、その日はまあ大事の日だから、自信のある年嵩《としかさ》の連中でもちゃんと時間前に集っていたところへ、桃龍がたった一人遅れ、しかも寝ぼけ面で入って行った。平気さが、瀧沢という年寄の師匠の癪に触ったと見え、
「そらもう桃龍はんは、何でもようでけるさかい、遅れて来ても大事おへんやろ」
と厭味を云った。それが出来ない方で寧ろ有名な桃龍は笑い出して、満座の中でぬうと師匠の顔の先へ指さしつつ、
「うーそぅ」
と云った。
「ほんまにあのときのお師匠《っしょ》はんの顔! 笑えて笑えてかななんだわ。――『うーそぅ』ちゅうなこと、よう云わはったわ」
桃龍は知らん顔で卓の上の硯箱《すずりばこ》をあけ、いたずら描きを始めた。
「――近くで見たら、その顔、まあ化物やな」
「いやらしおっしゃろほんまに、踊のある間、あてら顔滅茶苦茶やわ……痛い痛いわ、荒れて」
「……何《なん》や、それ」
「ワセリン」
「――ようとれるな」
章子と二人の話声をききながら、ひろ子は興味をもって、桃龍のいたずら描きを眺めていた。「桃龍はんの泣き面」「ゲンコツぁんと蕪《かぶら》はん」――「ゲンコツぁんと蕪《かぶら》
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