れる夜具布団を自分で家から背負って持って行った。そういう窮乏状態であった。私共は、その時分謂わば財布も一つ、心も一つという工合で、必死の生活をやっていたのであったが、稲子さんは、この布団を背負って行ったということを、そのことがあって既に何日か経った後、ごくさらりと、何かの話の間に交えて私に話した。私は、互の仕事と生活とが困難になってから、稲子さんというひとの非常な粘りづよさ、堅忍、正義感、周密さなどを益々高く評価し、生涯の友と信ずるようになっていたのだが、この何でもなく話されたことは寧ろ私を愕かせ、又新たな稲子さんの一面に打たれた。稲子さんは、互の友情にも甘えないひとである。センチメンタルなところがすこしもない。これは女として新しいタイプであり、その点、稲子さんの良人となり友人となる者にとっては、或るこわさがある。対手を高める力として作用する隠されたこわさがある。稲子さんは、例えば私にしろ、私たちとしての立場から見て妙なことでもすれば、のほほんと馴れ合ってはしまわない。自分自身に対してもそのことは同じであると思わせるものを、日頃の生活態度に蔵しているのである。
 従って、プロレタリア作家としての自身の発展に対しても、稲子さんは、ずるずるべったりなところがない。このことは、或る場合、現在のような時期には、複雑な内容で彼女を苦しめることも、私にはよく理解されるように思う。プロレタリア作家として窪川稲子は、作品の或る情趣とか、リリカルな効果とかそんなものでは安心しない深く真面目な芸術家としての感覚をもっている。又、自分の作家的出生即ち、家庭の事情によって小学校さえ卒業させられず、少女時代から勤労者の生活を経験したという、そういう出生だけをふりかざして安心してもいない。経験主義者の持つ安易な評価は、自分自身に対してもひとに対しても抱いていないのである。階級全体の発展が大なる困難におかれている時、彼女のように過去の生活において直接間接永い間大衆の力との密接な連関で作家としても正しく育って来た作家は、自身の作家生活の実態において今日の大衆の苦難を感じそれと闘っているのではあるまいか。
『牡丹のある家』という小説集は、よく読んで見るとそういう窪川稲子を私に理解させ得る力を含んでいるのである。最近書かれる多くの感想・評論によってもそれは分る。
 窪川稲子の業績や将来の発展というものは、それ故すべての積極的な、忍耐づよい、天分あるプロレタリア作家の生涯に対して云い得るように、全く階級の力の多岐多難な発展の過程とともに語られて初めて本質に迫り得るものであると思う。歴史の新たな担いてとして立ち現れた階級が持っている必然的な質のちがいが、ブルジョア婦人作家と窪川稲子との間に在ることは自明なのである。
 私たちは、様々の苦しい目にも会いながら生涯ともに仕事をしてゆくであろうが、私としては、自分が様々の形で階級的に経験をふかめられて行くにつれて一層窪川稲子の価値が全面的に分って来て、愈々わかち難く結ばれてゆくことを深いよろこびとしている。こういうひととめぐり合えたことをも、根本に溯ってみれば階級のもつ積極的な人間関係の可能性の現れであると思い、私は単なる友情のよろこびより以上のものを感じている。[#地付き]〔一九三五年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「文芸首都」
   1935(昭和10)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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