もかかされないことだのに、どういうわけか、めいめいの私事《わたくしごと》という風に考えられて来ました。食事の時間にお客が来ると、来たお客が恐縮するかわりに、却って食事中の主人一家の方があわてて、すまないことでもしているように、失礼いたしまして、と詫びたりします。

 これは、日本独特の習慣であると思います。いい食事をするのも、乏しい食事をするのも、つまりはその一家の金のあるなし、腕のあるなしにだけかかっていることとされていました。そのために、どういう方法にしろ金のありあまっている人々は、健康に害があるほど馬鹿馬鹿しい贅沢な食事をし、金のない者は、人間として生きて働いてゆくだけの体力も保てないほど貧しい食物で、しのいでゆかなければなりませんでした。そして、この、どちらにしても不合理な二つの現象は、めいめいの都合による、私ごとと思われて来たのでした。

 ところが、戦争の結果、日本の大多数の人々は食糧の欠乏にみまわれることになりました。今日、あらわな慢性の飢餓の状態に立ち到るまでには、いくつかの段階があって、そのたびにいろいろな警告が発せられました。配給を公平にせよ、横流しをするな、闇をと
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