だのの涼み客が、植木や金魚桶をひやかしながら、ぞろぞろ潮のように動いて行くのである。
「どうです? 何か一つおとりなすっては。なかなか馬鹿に出来ないものがありますよ」
 一寸目に付く盆栽などがあると、小関はひょいと延び上って、器用に人の肩越しに、台の上を覗いて見る。
 けれども、おせいは、その要領の好いひやかし振りなどにちっとも気をつけてはいられなかった。彼女は、多勢の人中で夫とはぐれないように、絶えず自分の片方に注意を配りながら、然も、一生懸命、初めての夜市の光景を見逃すまいとするのである。
 何しろ人出が多くて、容易に露店の前までは近寄れない。が、大きい市松模様の虫屋籠を見たり、燈火の上に高く流れる月の光りを照り返すように種々様々な提灯や行燈が揺れている店などを眺めると、彼女は何とも云えぬ興に動かされるのを覚えた。
 賑やかな赤い酸漿《ほおずき》提灯に混って、七色の南京玉で拵えた吊燈籠なども見える。四隅に瓔珞《ようらく》を下げ、くくれた六角のところに磨り硝子《ガラス》をはめ、明治初年さながらの趣で、おせいの瞳に写るのである。
 彼女は、七つ八つの時分を思い出して、床しい心地さえした。その頃、浅草の近くに、父方の祖母が住んでいた。そこへ泊りがけに遊びに行っては、所在なさに繰返し繰返し眺めた「東都名所図絵」という、雲母《きらら》のにおいのする大判の絵草紙の中で、彼女は初めて、このように南京玉の瓔珞をつけた燈籠をも知ったのである。
 矢張り、どこかの茶屋の涼台の有様ででもあったのだろう。川を見下す涼しそうな広縁に、茶っぽい織物の大きな帯を解けそうにゆるく腰にまきつけた女が、薄ものの袖から透きとおる腕をあげて簪《かんざし》にさわりながら、くずおれている。欄干の上に、二つ三つその菱形の燈籠が下っている。――
 夜の空に、その燈籠の長い房々や子供らしい色の華やかさが余程綺麗に思われたのだったろう。十何年振りかで図らずそれらしいものを見、彼女は変らない懐しさを感じずにはいられないのである。
 ――気を奪われて歩いているうちに、いつか通りは楽になり、露店の絶えた処に出た。
 左右には、びっしりと、高い大きい家々が立ち並んでいる。それらの建物の通りに面した下の方は、その中に見せ物でもあるように、格子一重の中が通り抜け自由になっているらしい。ちらほら人影があるばかりで、明るい往来も、建物の周囲も、あの雑沓の中から来ると嘘のようにひっそりしているのである。
 心付いて、おせいは四辺《あたり》を見廻した。そして、小声で、
「ここがそうなの?」
と、夫に訊こうとした時、黙って歩いていた小関が、急に話し出した。
「まあ、ここいら辺からぼつぼつ中心に向うんですがね……さびれていますねえ」
 彼は、健介達に、賑いの絶頂でない処を見せるのが如何にも残念そうに呟いた。
「然し、どうです? なかなか堂々たるもんでしょう? 近頃すっかり模様は変りましたがね……どうです通り抜けて見ようじゃあありませんか」
 後につき、おせいは我知らず眼を瞠《みは》りながら、とある格子の内側に歩み込んだ。
 一目見たときはまるで生花《いけばな》の展覧会かなぞのように思われる。手摺をつけ、幕をしぼりあげ、正面に、幾つも幾つも大きな女の写真を並べて懸けた下には、立派な木札に、黒々と値段を書いたものが出してある。――
 言葉もなく見廻し、彼女は不可解な感に打れた。
 木炭か鉛筆かで、こすって描いたように艶のない、どれもこれも同じような女の顔は、むやみに明るい燈火の下で、まるで幽霊のように見える。
 隅の方に台を控えて、ぽっつりと男が一人いるきり、物を云う者とてもない中に、人とも思えない、たくさんの女の顔が、灰色と際立った白とで、くすみ、無表情に、凝《じ》っとこちらを眺めているのである。
 おせいは見ていると無気味にさえなった。ここに生きた人間がいることさえも疑われて来るようだ。この陳列写真の一重の彼方を覗いたら、何にもないがらん洞が風に吹かれて拡がっているかとも感じられる。しかも、麗々と明るみにさらされた金高を示す文字を見ると、彼女は、額が痛むほど、何か本能的な痛苦を感じずにはいられないのである。おせいは、話に聞き、頭に描いていた吉原という遊蕩地が、こんなであろうとは知らなかった。もっと華やかな、情痴的な何物かが通行人にさえうつつをぬかせる雰囲気を作っているのかと思っていた。然し、これを見て、たとえ情慾でも起せる人間があるということは、彼女に不思議なほどに感じられる。
 おせいは、奇怪な、信じられない心持を抱いて、先に立ち、黙ってそこを出た。大通の左右には、絶間なく小路があり、そのまた左右がひしひし、同様な、きらつく、然し人気ない建物で詰められている。
 行っても行ってもつきない。いやになるほど、同じような建物が、余りきらきら、余り寂しく立っている。――おせいが、深く黙り込んでしまったせいか、小関はつぎ穂がなさそうに、格子の間を出たり入ったりして、先に立った。
 或るところでは、まだやっとはたち位の学生が、わざと顔を隠すように背を丸めて台の男と差し向いながら、何かひそひそ囁き合っている。
 或るところでは、独りで入って行った小関を見つけて、男が、いきなり、低く早口に、
「あ。旦那、ちょいと、ちょいと、好い話」
と呼び止めながら、扇を持った手を延して中腰になる。おせいが一緒だとは気が付かず、何か云おうと唇まで出かかった言葉を、ふいと飲み込んで、そのまま素知らぬ顔をする男もある。
 行くうちに、彼女は何となく腹立たしいような気分になって来た。
 あの男達は、一体どんな心持であんなことをやっているのだろう。胸位まで来る台を控え、パチパチと扇を鳴らし、或る者はすっかり禿げた頭を燈火に照しながら、眼を動して、何か、絶えず求め漁っている。恐らく家があり、妻子がある、あれも夫であり父親であるのかと思うと、おせいは訳の分らない辛い心地がした。
 またこの特殊な世界の生活を、倫理上の「問題」とし、同性の「問題」として、考え論究している種々な女の人々は、自分の眼で、この格子と、絵姿と、奇妙な静寂を見た時、どんな心持に打れたのだろう。
 おせいには、これらの光景から、何か纏り、組織立った考えが照り返して来るのは、二分も三分も、或は一日も後のことらしく感じられた。
 何か読んだものや、聞いたことから、頭で拵えた観念を抱いて来ない以上、素直な心で、この有様を見たら、先ず、これが真実、自分と同じ心を持ち、自分と同じ肉体を持った女、人間に、何か係わったことなのかと怪しみ疑わずにはいられない気がするのではないだろうか。彼女には、実に、解し得ないことと感じられる。しかも、心全体には、無言の裡に、暗い悲しい、憤おろしい迄の激情が迫って来るのである。
 理屈でなく、議論でなく、おせいは、巨人のように力のある手を延して、一揉みに、この煌《きら》ついた、しらを切った建物を揉み潰してしまいたい心地がした。
 壊れた屋根板を撥《は》ね、折れ倒れた鉄棒を掘り除けたら、中から、始めて、人らしい、涙を流す、自分達の仲間が出て来るだろう。
 いくら考えても、嘘だかほんとだか判らないこんな穢い絵姿ではなく、ほんとに生き、心のある自分の仲間が、いるなら出て来、手に触り、倶に笑い、泣き出来るのではないだろうか。
 おせいは、このまま眺めていたのでは、いつになっても正体の見極められない欺瞞に面しているような不快を覚えた。
 小関は彼等を往来に遺したまま、まだ酒気の失せ切れない瞼をぼってり燈に照しながら、薄羽織の裾を揺すって格子の内側を歩いている。



底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第二巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年1月7日公開
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