比べて、リベディンスキーの『一週間』の人物はどうかよ! 例えば、リザ・グラチェヴァ――なんと変った人物ではねえか? それでいて、いつだってほんとに生きてるようだ」
ザイツェフは、村へ襲って来たカラシュークが真先に共産党員を狩立てずに、馬の尻尾へ富農を結びつけたのも不自然だと主張している。
「こりゃ、拵え事だ。作者はきっと富農《クラーク》を皮肉ってやりたかったんだべえが、うまく行かなかったネ。俺にゃ、それに何故チュフリャノフが共産党反対の組織へ加わるのを拒絶したかも分らん。チュフリャノフは二心のある奴って訳だべか――そうも思われない。富農の奴が詩篇を読む――そんなことがあるかね! ところがパンフョーロフの小説じゃ、読むこと、読むこと、まるで何かの書付け読むように読みくさる。マルケル・ブイコフが『憲法』って言葉をつかう。ズブの無学文盲の農民は、この作者が喋らしているような喋りかたはしねえもんだ。『神聖な処女の噺』は、ありゃ新聞からとって来たもんだね。俺等の村じゃああいう、『神聖なもの』はどんな馬鹿な奴だって引きつけやしねえ」
この農民批評家はなかなか手厳しい。ザイツェフは、繰返し繰返し「貧農組合」には印象に残るような情景が書かれていないと云っている。そして、声を立てて笑い出した。
「シュレンカが夜ふけてトラクターを動かしている。作者がそこで云ってるには、彼の眼は輝いた[#「彼の眼は輝いた」に傍点]! とさ。シュレンカの眼は、狼の眼かね? 作者はうまい思いつきを書きたかったんだろうが、夜にゃ、向かねえ」
「この『貧農組合』についちゃまだこうも云い度いよ。こりゃ読む者が、その中から小銭を見つけ出さなけりゃならない塵塚だ、とね。誰かがそいつを見つけるかも知れん。だが、見つけられねえかもしれん。小説はまるで芝居で最後の幕がしまるように終ってる。作者の言葉は、重っ苦しい。大衆の会話は――長談議だ。聞いてると、まるで泥濘《ぬかるみ》さはまって足を抜けねえような塩梅式だ」
「思うに、無駄ばっかりだ」
四十男の働き者のブリーノフが続いて云い出した。
「俺の好みがそうなのかも知れねえが、こういうことは二章で書けたと思うね、それをパンフョーロフは十章にしている。八章の間俺達あ歯くいしばって坐っていた。集団農場の生活を書いた小説だが、俺は、集団農場員として、この小説ん中のことは本気に出来ねえ。思って見な。『ブルスキー』へはやっと前の年からトラクターが動き出した。すると忽ち女連が肥って、脂がのりはじめた……きまりきってるサ、嘘だ! 俺達はあらかた九年コンムーナで暮してる。それでも女連の中で一人だってまだ肥えた者なんぞいねえヨ。それどころかコンムーナへ新規に入って来る者なんぞは一月に二三キロも目方が減るぐれえなもんだ。これでよく分る、『ブルスキー』へどんな連中がより集まったか。懶《なま》けもんだ! 天からマンナ[#「マンナ」に傍点]が降るのを待ってるみてえだ。ブルスキーの連中は自分で云っている。トラクターで楽しようって。馬鹿のより合いだ。共同耕作の暮しなんて……信じられねえ。
自分のところの例で見てもよ、俺達んところにも共有地のことでごたごたがあったが、ああいうもんじゃなかった。成程、揉めた。ポリトフがやって来て地方委員会書記なんぞぬきに、皆をドナリつけた。誰も彼もコンムーナへ地面をだすことに同意した。みんな沸き立って喋ったけんど擲り合なんぞはなかったんだ」
革命までブリーノフは上ルジェンスキー村の中農で村では口ききだった。ヨーロッパ大戦当時は、運転手をつとめた。コンムーナ「五月の朝」の組織者の一人で、トラクター管理をまかされている。彼は「貧農組合《ブルスキー》の中に、今集団農場のことが出て来るか、今出て来るかと、そればっかり期待して聞いていた。ところがすっかり当がはずれた。ブリーノフはもう九年コンムーナで暮し、それがどういうものだかよく知っている。
「けれども、そういうとこで暮したことのねえ者は『ブルスキー』を読んできかせて見な、ドマついちまうよ。一体どんな集団農場だね? バカと荒地だ」
「パンフョーロフは、謎ばっかかけるけれど、その終りが、ありゃしない」
細い、確かりした眼付でブリーノフはつづけた。
「シロコイエ村に、階級闘争が起らなくちゃ成らなかったべえか。俺にゃ分らん。村のあらかたが富農だ。たった一人の貧農シュレンカは懶けもんだ。そこにどんな闘争があるかね」
人物が活々描かれていない点がブリーノフにとっても不満足だ。まるで村を通って、百姓に出会ったはいいが、挨拶して、そのまんまわきを通りぬけちまったような工合だ。言葉が持ってまわっている。ほんとに農民らしい、一言きいて多くのことが分るような上手い言葉なんてものは、一つもこの小説の中にはない。自然の景色が目に見えない。作者は森のことを云ってるが、何処に、どんな森があるのか、ハッキリしない。
「『貧農組合』は集団農場の建設を励まさねえ。がっかりさせちまう」
ザイツェフが合槌を打った。すると、
「いらない本だヨ」
と、ゆっくりした調子で切り出したのは、貧農で、家族がうんとあって、コンムーナへ入ってからやっと凌げるようになったスチェカチョフだ。
「集団農場へ気をひくためにゃ、これんばっかりも役にゃ立たねえネ」
自分の横っ腹のところを指さして、
「ここんところを、逆にひっぱられるみてえだ。俺はこれまで本読みに中坐したことはなかったが『貧農組合』にゃ半分頃で出ちまった。眠たくなってなア。本の中には滑稽なところもあるが、気持のよくねえ滑稽だ。俺は笑わねえ。集団農場の仕事で一等心をつかまえることを、作者は書いていねえ。集団農場の建設の事業はソヴェトで、もう十年もやられて来てる。もちっと親切に書くこったって出来たべえに……。小説ん中に富農の襲撃がある。けんど、集団農場建設をすける意味で、政府から何の助力も与えられていねえネ。アグニェフを半殺しにした。それっきりだ。民警さえいねえ。訊問もなければ、宣伝もねえ。俺等んとこじゃどうだったね? このコンムーナへ徒党が押しよせたってことが伝わった時、四十露里あっちから赤軍分遣隊がやって来て呉れた」
「えれエ小面倒な名前だよウ」
そう云ったのは五十九のティトフだ。
ブリーノフが云った。「パンフョーロフは集団農場のことを聞いてはいるらしいが、そばで暮したことはねえらしい」
「こうだべよ」
ザイツェフが云った。
「作者は村を旅行したのよ、手帳に書えたのヨ――ホーレ、それがこの小説だ」
「たまらねえ程無駄だらけだ」
「よこ道さそれてる」
「本のどこにも、集団化がねえ!」
「思うに『貧農組合』は貧農をまっとう[#「まっとう」に傍点]に書いていねえ。何故この小説に、本当のたち[#「たち」に傍点]のいい貧農は出て来ねえんだ? 貧農はどれでもシュレンカみたよなノラクラ者ばかりじゃねえんだ!」
「この世の中に『貧農組合』みてな組合はねえヨ」
等々。遂に、彼等の結論はこういうことになった。
(一)農村にはいらない本だ。
(二)実際の仕事に関係あることは殆ど書かれていない。ちょいちょい区切って、ところどころ読んで行く分には読める。退屈ではない。然し、農村の集団化とは結びついてはいない。
(三)「貧農組合」は農村における集団農場化のために少なからぬ害を与えるが、ためになるところはない。この小説には成っていない集団農場が書かれている。
(四)農村というものが、不充分に、ボンヤリ拵えものに書かれている。
――○――
ソヴェトの農民が、ソヴェトの農民小説に加えた批評だからと云って、それがいつも絶対に正しいものばかりだとはきまらない。
この「五月の朝」コンムーナの連中は、例えばエセーニンの詩にはコロリと参っている。エセーニンの詩集は村にいる本だ。素敵なもんだと「母への手紙」というエセーニンの詩がよまれた時に衆議一決している。だが、果して詩人エセーニンは、このコンムーナの一同が武器を揃えて、パンフョーロフが正しく描写しなかったとして攻撃している農村の集団化について、社会主義的な見方を持っていただろうか?
エセーニンは、根本的に反対な見解をもっていた。エセーニンは、集団農場化の第一歩である農業の機械化にさえ先ず命がけで反対した詩人である。
ソヴェトのプロレタリア文学、農民文学にとって農民の批評が参考になるのは、彼等の批評そのものの中に現れて来ている正当な判断が作家を益するばかりではない。時にはこの「五月の朝」の連中の或る言葉のように間違ったものにしろ、その間違いが暗示している歴史的な階級的な現実の影響を作家が洞察することに深い意味が在るのである。
赤色陸海軍文学協会《ロカフ》の結成
着々と躍進するソヴェト同盟の生産拡張五ヵ年計画とともに、プロレタリア作家たちは、この五ヵ年計画の三年間において、重大な階級的な発展をとげて来た。
作品活動をこめての一般的なプロレタリア文化・文学活動の実践の領域でソヴェト文化運動と文壇の指導権を確立したばかりではない。全同盟内の生産の場所における文学研究会、労農通信員たちへの正しい階級的指導は、あとから、あとから一つは一つよりよい作品を発表する前途洋々たる若い党員作家を輩出させている。文学活動の分野は、五ヵ年計画とともに拡大された。プロレタリア作家の質そのものも変って来つつあるのである。
一九三〇年に入るや否や、ソヴェトのプロレタリア作家たちは、更に新しい一つの階級的課題にぶつかった。
資本主義列国の反ソヴェト同盟カンパニアに対して作家はどう戦うべきか。この問題である。
これはソヴェト同盟にとって謂わば歴史的な課題といえる。今日にはじまったことではない。一九一七年十月、革命の第一の銃声が轟いた、その瞬間から、今日まで持続している問題だ。その頃は、コルニーロフの反革命軍や、チェッコ・スロヴァキアの反革命軍が、南方ロシアを掠めようとした。アメリカと日本とがシベリアで帝国主義の利益のための火事場どろぼうをやろうとした。ソヴェト同盟の勤労階級は西から東からおそいかかって来る反革命軍を追っぱらった。
が、列国の陰謀は、これではすまなかった。
一九二一年に起ったクロンシュタットの赤色海軍兵の局部的な暴動は、ソヴェト同盟国内戦後の饑饉救援という名目でアメリカから、妙な連中が入り込んだ。アメリカ毛布、アメリカ製ビスケットにかこつけたからくりが、この暴動の種であったということを今日知らぬ労働者はない。
五ヵ年計画まではソヴェト唯一の炭坑区だったドンバスで、一九二八年大陰謀が発覚した。一九三五年になるとドンバスからは一塊の石炭さえ産出しないように技術的な破壊が企てられていた。それは誰の仕業であったろうか? ドンバスに外国資本が投資されていた帝政時代から働いていたドンバスのドイツ人技師が中心であった。
一九二九年八月、東支鉄道の問題で、中国の帝国主義者たちを突ついたのはどの国だ? フランスと結托している反動的なポーランドがワルソーのソヴェト大使館爆破をやりかけたのは、どういう云いがかりをつけるためであったろうか。ソヴェト同盟の大衆は時に応じ、事情に従い、階級的な国際関係についての経験をかさねながら、それらと闘争しつづけて来たのであった。
大衆はその組織をハッキリ理解している。プロレタリアの国ソヴェト同盟の根本的な外交方針は、平和であり、それぞれの国の大衆を犠牲とする戦争に決して自分から立ち入ったり、挑発したりしないということを。戦争で、ムザムザ若い命を大砲、毒ガスの餌じきにされるのは誰だろうか?
世界平和を守るという不動の方針と展望の上に腰を据え、平和のための実力を充実させるためにソヴェトのプロレタリア・農民は五ヵ年計画の達成に精を出している。どう難癖をつけようとも、失業はなくなる。勤労者の賃銀は上る。労働時間は七時間から六時間何分というところまで縮小された。そして全生産は重工業をふくめて資本主
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