れている。劇中劇などと逃げを打って、イヤに比喩めかして、あり得べからざる安易さで革命をこねあげて見せている。
科白《せりふ》では、ソヴェト赤紫島万歳! と呼ぶ。だが、その「万歳」は本気にうけとれない。君等の考えている革命[#「革命」に「××」の注記、底本の親本「河出書房 宮本百合子全集」で伏字を起こした個所]なんてのはこんなところだろう、と云われているような工合だ。そう考えると「赤紫島」という題も妙にこっている。
だって、赤は、赤でいい。われわれに分る意味においての赤だ。然し、紫というのは何だろう? ヨーロッパの伝統的な色の言葉で権威、王位、威厳、信仰を意味する。ナポレオンが帝位につくとき背中にひきずった裳は紫ではなかったか。現在でも紫という色は、同じような意味をもっている。「赤紫島」というのを別な表現で書くと「赤の信仰ででっち上げられた島」または「赤が王の島」となりかねない。
ソヴェト同盟の大衆にとって、こういう種類の諷刺が、ほんとの諷刺としてうけとれず、そこにブルガーコフの傍観主義や底意地のわるい嘲弄を感じたのは、むしろ自然であった。
大体、文学をこめてのプロレタリア芸術一般にとって、諷刺的手法が正しい効果をもつ場合は、諷刺そのものがただ題材の或る矛盾面の抉出だけに終らず、積極的な建設的な教唆、暗示、明示等を含んでいる時に限られる。プロレタリア芸術の諷刺とブルジョア芸術の諷刺との相違は明かに此処にある。
ブルジョア漫画家も失業でやけになって酔っ払った労働者の酔態を描くだろう。ブルジョア漫画家は丁度ブルジョア政治家がそうである通り、それをそれとして現象的に描写する。諷刺したという自己満足に止っている。失業でやけになって酔っ払った労働者は、酔っ払わずに、本当はどうすべきであったかという方面、階級全体としての闘争へ向って突き動すような努力は漫画のどこにもされない。
プロレタリア漫画家だけが、それをやるのだ。またやらなければならない。ソヴェト同盟の漫画家たちの苦心はここにある。社会主義的生産の意味を理解せず懶ける労働者も、ソヴェト同盟の階級的自己批判として描かれなければならない。然し、画板一杯に懶けている労働者だけ精出して描写したってそれは弁証法的でもなければ、従ってプロレタリア的でもない。その漫画を見たものが積極的な側を、理解するように扱われなければならないのだ。
文学における諷刺も同様なのは云うをまたない。諷刺が諷刺で自己満足してその基礎が「赤紫島」におけるように間違った理解の上に立てられている時、どっちから見たって、正当な意味で、プロレタリアの諷刺でないのは知れている。つまりブルガーコフは才能はあるけれどもソヴェト同盟の社会主義社会の建設と世界の労働階級解放運動に対して同情的でない態度をもつものだということを否めない。
上演目録詮衡委員会は、一つの自己批判の表現としてこの戯曲の上演を許可したが、ソヴェト同盟の勤労大衆はだまっていなくなった。カーメルヌイ劇場は一月余上演して「赤紫島」はひっこめた。
一九三〇年の秋から帝国主義国のファッショ化に対しソヴェト演劇上の帝国主義侵略戦争反対、宗教排撃の主題は目立ってふえた。だが、諷刺的に扱うにしろこの点に深い注意を払われている。世界の帝国主義者、ファシストの組織、侵略戦争をあばきっぱなしでは足りない。
ソヴェト同盟及世界の勤労大衆はそれに対して何を支持し守らねばならないのか。「ソヴェト同盟、ソヴェト中国を守れ!」強く、全面的にこの大切な点が会得されなければ甲斐がない。芸術的効果をそこまで持って行くために、ソヴェト同盟のプロレタリア芸術家たちは大童《おおわらわ》だ。
ところで、問題は展開する。
この帝国主義の侵略の危機、及びファッシズムとの闘争は、果してソヴェト同盟の大衆、彼等の文化の前衛としてのプロレタリア芸術家たちだけに限られた必要、或は負うべき任務だろうか?
断然そうではない。
各国の帝国主義者たちが、それぞれの方角と方法でソヴェト同盟破壊のためのカンパニアを精力的に起さずにはいられないほど、それぞれの国内での情勢が切迫して来ている。
資本主義国内の勤労大衆、革命的労働者、芸術家は一様に、多くの犠牲に堪えつつ勇敢にプロレタリア・農民の解放と階級的文化確立のために闘っている。
何故われわれは世界の同志として互に手を握り、現実的な組織によって共同の敵と闘わないのか? ソヴェト同盟モスクワにある革命文学国際局がこう考えた。
ドイツへ、チェッコ・スロヴァキアへ、イギリスへ、ハンガリーへ、日本へ! 世界革命文学の第二回国際会議への召集状は発せられた。
第十三回革命記念日の数日前、一九三〇年十一月一日の朝、モスクワの白露バルチック線停車場は鳴り響く音楽と数百の人々が熱心に歌うインターナショナルの歌声で震えた。各国からの代表、歓び勇んでやって来たプロレタリア作家たちの到着だ。みんなは、みんなの母国語で歌った。が、モスクワの初冬の空気をツン裂いて、
「ああインターナショナル」
と歌われたとき、あらゆる国語の差別は消え全く一団の燃える声となって八方に響き渡った。
第二回革命作家国際会議がモスクワでもたれず、ハリコフ市で行われたのも、五ヵ年計画第三年目のはじめの記念的な出来ごとにふさわしい。ハリコフ市はウクライナ共和国の首府だ。十一月の氷雨がちのモスクワ市よりこの時節にはハリコフ市の方が気候がいいばかりではない。ドンバス炭坑区を近くに持ち、大国営農場、機械工場をもち五ヵ年計画とともにソヴェト同盟の南方地域では屈指の重工業、農業の生産中心地となった。
ハリコフ市を中心とするウクライナはソヴェト同盟のプロレタリア文学とも縁が深い。ショーロホフの「静かなドン」はドン地方のコサックの階級闘争史だ。フールマノフの「赤色親衛隊」もウクライナ地方が背景だ。映画「大地」はウクライナの豊饒な自然なしには創られなかった。
美術の方面でもウクライナは多勢の優秀なソヴェト木版画家を出している。一九三〇年の春はウィーンその他でウクライナ美術展覧会をやった。
このウクライナ地方が革命までどんな扱いをうけていたかと云えば、大ロシアの支配者たちによって半植民地とされていた。ウクライナ地方の自国語で書くことは許されず、軍隊の中でさえ「ハホール」と呼んで侮辱的扱いをうけた。
社会主義の社会で民族は真の意味で自立し、新しい生産と文化とが結びつきながら高揚し、調和しあうものとして動きはじめている。ハリコフ市はそういう点から一つの新しい民族首都である。ここを選んで国際的な革命作家の会議が行われたことは輝かしい。
会議は十一月六日から十五日まで続いた。二十二人の資本主義国、植民地、半植民地から革命的作家が集った。
代表によって各国におけるプロレタリア文学運動についての詳細な報告がされ、批判された。そして、革命的作家は益々切迫するブルジョア経済の行き詰りとともにファッショ化する権力の文化抑圧と如何に闘うべきか。これも亦各国の事情を参照して決議された。日本からは、松山、永田という二人の同志が出席した。
(ハリコフ会議における日本についての決議は『ナップ』一九三一年二月号を見ても分るし、近々作家同盟から出版されるプロトコールを見てもわかる)
革命文学国際局はこの会議を機会として組織がえを行った。国際革命作家同盟《モルプ》となった。これまでよりは一層緊密な国際的規模で各国のプロレタリア文学活動が出来るようになった。
国際的にこうやって組織の網めをひろげつつ、一方ロシア・プロレタリア作家同盟(ラップ)は、ソヴェト同盟の国内的文学活動をも一歩一歩と押しすすめた。
一九三〇年の末から三一年にかけて、ラップのかかげたスローガンは、
「ウダールニクを描け!」
である。五ヵ年計画とともに、ラップの作家たちは「大衆の中へ」次いで「生産の場所へ」と進出した。
作家団自身、生産の場所へはいりこみ、そこでどんな風に新しいソヴェト同盟の誕生が行われているかを目撃して、芸術作品を創って行っただけではない。工場、集団農場の中へドシドシ実践的な指導方針による文学サークルをこしらえて行った。労農通信員の文学的活動を熱烈に鼓舞した。
一九二九年から、全同盟の生産と文化の戦線で、最も階級的に、積極的に働いているのは誰か? 自主的に労働者、農民のイニシアチーブによって組織されたウダールニクだ。
工場の職場で槌をふるい、社会主義的な生産を高めつつあるソヴェト同盟の勤労大衆が突撃隊なら、その歴史的意味を彼等とともに理解し、画時代的な功績を記録しようとして出かけて行くラップの作家たちも、プロレタリア文学のウダールニクだ。
現実、生産の場所を描いて、そこの動力である階級的建設の闘士男女の突撃隊員を描かないということはあり得ない。「五ヵ年計画の英雄」を描けということは、ソヴェト同盟の社会的現実に即したプロレタリア文学の当然な推進なのだ。
「ラップ」は一九三〇年の春、益々豊富に大衆の中に芽生えて来る文学的萌芽の肥料として、初歩的な文学雑誌『成長』を刊行しはじめた。一九三一年には、文学サークルのために『文学突撃隊』という文学新聞を出しはじめた。プロレタリア文学における新幹部の養成は、技師、熟練工の養成と同様、重大な関心事となっている。
一九三〇年の七月、全同盟共産党第十六回大会の会場で「ラップ」代表キルションが行った報告中には、既に全然新しい層から生れて来た作家=労農通信員、コムソモール出身=が何人か数えあげられた。
ソヴェト同盟の生産とともに高められたプロレタリア文化から生れた新しい作家こそ、ドシドシと出なければならない。新しい世界観、実践、階級的教育で鍛えられ、生粋に社会主義建設時代を代表する作品が送り出されなければならない。
各地方支部ラップが、生産の場所における労農通信員を中心とする文学サークルの活動を過去一年間正しい方針で熱心にやって来た結果、昨今極めて興味深い本がポツ、ポツ出版されるようになって来た。
例えば、或る工場内の文学突撃隊《リト・ウダールニク》が中心となって、自分の工場で社会主義建設はどんなにして行われているか。その生産における一般的関係、その工場だけの独特な条件、それを掌握する革命的ウダールニクの活動とその間に起るさまざまな插話等を、共力して芸術的記録にまとめ上げてゆく仕事だ。これはねうち[#「ねうち」に傍点]がある。こういう文学的共働は、例えば「ラップ」の作家たちが時々やる労働者との合作とは又ちがって深い実践的な階級的基礎をもっている。
彼等は文学活動の必要のためだけに集ったのではない。ある一つの工場が五ヵ年計画を基本とした自身の生産プランを大衆的に受け入れた瞬間から今日まで、そこの仲間は機械によって結ばれ、ベルトの唸りで互に繋がれ、企業内の妨害分子と闘いつつ、高く、高くと、プロレタリアの生産と文化を引きあげて来た連中だ。
ここには世界の全人民解放の日まで生産に文化に夜となく昼となくうち鳴らす階級の鍛冶屋、われら闘う人民の若々しい槌の音が、町から村へ、国から国へと鳴り響いていようというものだ!
附記
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「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」は昨年の一月から書きはじめられ、二回休んだが殆どまる一年続いた。
誰かが、ナカナカつづくね。書いてるうちに五ヵ年計画がすんじまうよ、と云ったが、この冗談は真実を云い当てている。何故なら、五ヵ年計画が進捗するにつれてソヴェト同盟の芸術運動の展開は著しく、去年より今年、今年より来年と、建設の新しい客観的情勢の動きにつれて、プロレタリア文学も育ちのいい赤坊のようにのび太って来る。書くべきことにはきりがない。それこそマルクシズム・レーニズムの旗の下にすすむプロレタリア芸術のつきない創造性というものだ。
然し、わたしは一先ずここで、この記録はうち切りたいと思う。後から後からの愉快なニュースは、別にニュースとして報告しつづけて行こう。(特
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