あった。激しい、飛躍的な、恐ろしい程豊富な時代であった。どんな平凡な一市民も、この時期には生涯の思い出となる経験を、朝から夜まで二十四時間の内とも思えぬくらい経験しつつあったのだ。
 書きつけて置きたいことは山ほどあり、しかも現実生活の展開は迅速で、革命に鉛筆を握らされた作家たちは、自分以上の力にもえたって仕事をした。書いた。革命の歴史的瞬間に全存在を引つかまれた作家たちは、自分が革命の情熱にとらわれた、そのとらわれかたについて周密な自己批判をしている暇なんかもっていなかった。グラトコフは「セメント」を書いた。ヤーコヴレフは「十月」を。イワノフは「装甲列車」を。リベディンスキーは「一週間」を。ピリニャークは代表的な「裸の年」を書いたのである。
 各作家めいめいが、めいめいの傾向のままにそれ等を書いたのであったが、十月革命は、その発展の日常具体的な過程によってあらゆる個人を集団へ、集団的行動の中へと召集した。どんな作家達でも、革命の実践が教えた集団の価値、行動のテンポを自分たちの作品の中へ反映させずにはいられなかった。それは、世界のプロレタリア文学にとって新鮮な、生気あふれる豊富な前進であった。
 当時ソヴェト同盟の民衆は、謂わば「俺等のあの時分の日記[#「俺等のあの時分の日記」に傍点]」でも読みかえして見るように、国内戦時代にかかれたそれらの作品を愛読した。作品としては下手に書かれたものでさえも、読者は、それを読んで思い出す自分達の経験の豊富さ、なまなましさで補ってくれたのである。
 やがて十年経った。そして十一年たった。
 ソヴェトの社会主義社会建設の道はプロレタリアートの党の指導の下にあらゆる困難を克服しつつ前進し、一般勤労者の興味はもう単純にあの時分[#「あの時分」に傍点]の回想にとどまってはいなくなった。階級的自覚のある労働者たちが今や目前に見ているのは、たとえばこのソヴェト同盟の生産技術をどうして向上さすべきかという緊急問題である。
 ソヴェトの作家たちは、ボツボツこんな批評を一般読者からきくようになった。
「どうも大して面白い小説も出ないじゃないか」
「どれもこれも国内戦だな。おまけにそのことについてなら、一寸見ろ! この傷と一緒にどうも作家より俺の方がよく知ってるらしいぞ」
「何だか、型で押し出しみたいじゃないか、党員てばどいつも、こいつも英雄でさ」
 読者は文化的に高まるにつれ、文学作品を自分の経験とは独立して存在する芸術品として見るようになって来た。
 加うるに、十月革命のときにはやっと五つか六つであった子供等が、既に青年となって読者層に参加して来た。
 ソヴェトの若い新市民たちは、親、兄、姉のような自覚をもって、革命前後を経験しなかった。表現や描写の不完全な作品をよんでもそのすき間を補ってゆくような国内戦時代の自分達の経験、或る場合には感傷を持ち合せていない。だから若い読者は、容赦ない批評家として立ち現れたのである。新しいひろい社会性の上に立ち、集団生活の中で大きくなって来ている彼等は、或る時、作者よりはズッと正確な革命的・階級的観点で、当時の民衆の歴史的役割を観る力をもちはじめている。
 グラトコフのロマンチシズム、ピリニャークの傍観的な態度、それ等は、文学専門家の間で、クーズニッツァ(鍛冶屋派)及び同伴者《パプツチキ》の芸術理論として検討されるだけではなくなった。工場のコムソモールが、図書部で作品集をかりて来て、それをよんで、生活的に育っている階級的感覚から、飾りなく、どうもこういう作品は俺たちのもんじゃないや! と云うようになって来たのであった。
 ――危険な時期が、ソヴェトの作家と読者との上にのしかかって来た。
 過去の所謂文学趣味に毒されていない、溌溂たる新興プロレタリアートは「十月」とともに輩出した作家たちの書くものに、無条件に満足してはいない。真にもっと新しいもの、ほんとうに自分たちの毎日の生活を再現したものを熱烈に要求している。だが、作家たちの生活は、果してその大衆的な要求を満すに適当な条件のもとに営まれているであろうか?
 そうでないことは、否定し難い事実であった。
 第一、革命の当時は、即ち彼等が第一作を書いたときは、彼等はまだほとんど作家ではなかった。或る者は農村で、或る者は都会で、何か生産的な集団の中に目立たぬ一員として参加し、革命の歩みとともに毎日歩いたり働いたりしていた。十一年目に、はっきりめいめいの職場がわかれた。彼はもう専門的な作家で、昔の農村委員会時代の書記ではない。従って彼がその周囲にもっている集団は昔日の大衆ではなく、主としてかぎられた文学的集団になって来ている。
 文学の主題としての、国内戦は、記録文学《ドクメンタリーヌイ》の時代をすぎて既に革命の歴史的観点から、丸彫
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