ヴェトでさえもそうは見つからなかった。文学批評と云えば、術語が並んで、むずかしい文句で、小説ならばよめる労働者でも理屈の方はマアと後へまわすようなものが多い。
その上、批評の専門家はこれまで、農民の文学に対する理解力を認めなさすぎた。やっと文盲撲滅が行われて十一二年目のソヴェトの農民が、やさしい、啓蒙的な小説を欲しがるだろうということは知っているが、農民がシェークスピアでもわかり、またわかったらそれをなかなか独特の味いかたで深く噛みこなし、その理解や批評のしかたが、ソヴェトのプロレタリア文学発達のために一つの大切な参考となるだろうというようなことは考えなかったわけだ。(一九二九年から「ラップ」の作家が多勢文学ウダールニクをつくって農村へ出かけるようになった。これは確に、従来の欠点を補う有力な方法だ。が、それもまだ試みとしては新しく、まとまった農村からの批評集というものは出来ていない)
農民の側になって見ると、少し小説をよむような知識慾の盛な農民も、都会のインテリのように、新聞や雑誌に出る作品評をよんでから、その小説を読んで見るというような例はごく少い。大抵村のソヴェトに働いている者だとか、教師だとか、本屋の売子だとか、そういう人々が面白いぞ、とか、いいぞとか云うものを、そのまま読む癖がある。
トポーロフが注意ぶかく観察すると、そういう村の知識分子は決していつも正しい文学批評の根底をもっているとは云えない。時にはずいぶんインチキな本を流布させる。
ソヴェト同盟は今こそ人間の歴史がこれまで知らなかった新しい社会の建設の途中にある。農村の新しい生産方法は新しい生活様式と文化を育て、プロレタリアートと農民とは社会主義社会というものについて生々として新しい世界観をもって、新しい階級人として互に結合しつつ生れかわりつつある。
よく選ばれた文学は、長ったらしい数字だらけの演説より勤労階級の心をつかまえる。いい一冊のプロレタリア小説は社会主義社会の建設に向って鼓舞するつよい力となる。トポーロフは、経験によって農民が文学に対してなかなか独立的な批判力をもっていることを知った。都会の或る種のプロレタリアートや学生なら、例えば或る作家の作品をよんでいろいろ不平が出ても、
「だが諸君。これはゴーリキーがとても褒めてるんだぜ」
というと、或るものは、ゴーリキーまかせにしてしまうような場合がないとは云えない。所謂専門家に対して押しがよわいところがある。農民はこの点ちがう。村の連中は、
「ふーむ」
とうなった。
「じゃ勝手に褒めさせとけ。でも、俺らゴーリキーはすきだがプリシヴィンはすかねえよ……」
トポーロフは、ソヴェトの初等教育者というものはただ子供相手だけで納っているべきではないと考えるようになった。特に農村では大衆の文化初等教育が、広汎に要求されている。
大衆の初等教育というのは、文盲打破にはじまって、彼等を楽しませながら教育する文学作品に対する活溌な受容力と批判力の養成を含むものではないであろうか。恐らく生れつき彼自身がひどく文学を愛しているに違いないトポーロフは、そこで、農民のための作品朗読会をもちはじめた。更にその批判を、ソヴェトの作家及出版者たちの参考にするために根気よく記録し整理しはじめた。
トポーロフはボルシェヴィキ的耐久性で八年それをやった。
「五月の朝」の人々は、その八年の間にどんな文化的収穫を得たか?
木綿更紗の布を三角に頭へかぶった婆さんが、ハイネを知っている。イプセンを知っている。モーパッサンをも読んで貰ったし、ロシアのものなら古典の代表作と現代の主なものは知っているという結果になった。そして、いい年をした貧農出の農場員は自分でコンムーナの生活記録を書いて見る気になった。モスクワから五千キロメートルへだたった田舎の片隅で、文化の光がそこまでひろがった。
トポーロフの研究によるとソヴェト農民読者(この場合実際ではききてだが)は、何より先に作品の文章、言葉の面白さを追う。内容はそれから後の問題だ。
そういう意味でコンムーナ員たちが素晴らしい作品だと決定した各国のいろんな作品の中に、ホーマーの「オデッセイ」が入っているのは非常に面白い。ゴーリキーの小説をよんでもわかるようにロシアの農民は昔から、詩の形で書かれた長い物語を口づたえにして誦して来た。その伝統がハッキリここに現われていると思う。
現代のものでは、ニェヴェーロフの「パンの町・タシュケント」、カターエフの「使いこみした男」、ポドヤッチェフの「労働者の中」、セイフリナ「プラボナルーシチェリ」、リベディンスキー「一週間」その他。
詩人ではエセーニン、ウヤートキン、ベズィメンスキー等があげられている。
いくつかの作品に対してされた農民の批評の詳細が実例とし
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