ちかえることを拒みはしないであろう。
彼等はペンの間に鋤やトラクターのハンドルを、電気モータアのスウイッチを把った。一九一七年――二一年の間に、銃をとってソヴェト権力を守ったその階級的経験から作家となった人々が沢山いるのだ。けれども、プロレタリア作家の階級的任務というものは、工場からの労働者、農村からの農業労働者と全く同じように、ただ赤軍に投じ、いろいろな軍事教育を受けるだけで満されるものであろうか?
プロレタリア作家はただペンを銃ともちかえるのではなくて、あるとき銃をもつにしても、それとともにあくまでペンを手ばなさないところに独特な役割があるのである。
階級闘争としての戦争=帝国主義の侵略に対して、社会主義を防衛する戦争においては、軍事司令部だけが働くのではない。党の政治部は、例えば、「チャパーエフ」(日本訳、赤色親衛隊)を読んでもよくわかるように、闘争の重大な理論的指導の任務を帯びる。
ソヴェトのプロレタリア作家は、自然発生的な階級的情熱で剣を執り、自然発生的な感銘で塹壕の記録をとるだけでは足りない。赤軍の活動についても、プロレタリア作家は政治的に、文化的に、独自の分担を理解して結びつかなければならない。
具体的に問題を調べて来て見ると、プロレタリア作家たちは、これまでの活動方法の上にいくつかの欠点を発見した。
例えば一九二九年の夏、東支鉄道の問題が決裂して、ソ同盟と中国との国境で軍事行動が行われた時、ソヴェト同盟は極東特派軍を送った。この階級的軍隊は中国の村落を占領すると、先ずそこで何をやったであろうか。住民の逃げた後の民家を掠奪から保護した。掠奪する中国人を捕え、品物を出させ、それをステーションの貨物倉庫へ番兵つきで保管した。追い追い村へ戻って来た中国村民がそれを見て、びっくりした。そればかりではなかった。村道は清潔に整理されている。屋根に赤旗の翻る一軒の民家には村ソヴェトが組織されていた。これまでとはまるで違う毎日の生活がはじまった。中国の村民は、生れて初めて活動写真というものを見物した。赤軍兵の芝居を見た。音楽がきかれる。或る場所では小学校さえ、赤軍に占領されたおかげで開設されるようになった。数ヵ月後その村から、赤軍が引きあげる時、村民は心から別れをおしみ、子供は泣きさえした。彼等は赤旗を立て、列をつくって、ソヴェト赤軍万歳! どうかまた来て
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