が農民の観念の統帥としてあてがって置いた悪魔という文句で表現して、機械を地主へ返却したのであった。
 ソヴェト権力の下で、村ソヴェトをもちながら農民が機械に対しては懐疑的であるのは、或る種の農民作家が認めたようにそれが「農民の本質」なのではなくて、対地主との関係に癖づけられた感情の惰勢なのであった。
 自然の描写にしても、農民作家は、自然に働きかける新しい社会の意志をうけ入れない。人間ぬきの自然美を讚歎して描く。「農村にだけほんとのロシアがのこっている」という考えかたは、農民作家共通のものと云えた。
 一九三〇年の或る秋の日のことである。わたしは、ソヴェトのいろんな作家団、劇作家団が事務所をもっている「ゲルツェンの家」の食堂で、昼飯をたべていた。作家団体に属する者は、五ルーブリの切符を半額で買って、そこで品質のいい食事が出来るのであった。
 わたしの坐ったテーブルに、二人中年の男がいる。やっぱり切符組だ。ふとその一人と口をきくようになった。
 彼は、日本のプロレタリア文学運動の情勢などしきりに訊いた後、
「日本の農民作家団はどんな仕事をしているか」と云い出した。
 日本の農民作家団――わたしは、日本に特別そういう作家グループはないと答えた。農民を描く作家もプロレタリア文学運動の一つの分野に属すと云ったら、フフムという顔つきでその男が云った。
「われわれのところには、プロレタリア作家の団体とは別に、大きい農民作家の団体があります」
 その口調からおや、とわたしは思い、この男自身農民作家だと思った。だが、どうして、プロレタリア作家と自分等とをそんなに別々に対立するような口吻で区別するのだろう。
 続けて、相手が質問した。
「あなた、ロシアの田舎を知っていますか?」
「大してよく知ってはいないが、あっちこっち旅行はしました」
「どこです?」
 そう云いながら、ジーッとわたしの顔を見据えた。
「ドン地方、北コーカサス地方が主です」
「ふふむ――で、ヴォルガ沿岸地方は?」
「二八年にヴォルガを下って、その時分はニージュニ・ノヴゴロドに、まだソヴェト・フォード工場さえなかった」
「ぜひ、ヴォルガ沿岸へいらっしゃい!」
 まるで命令するようにその男は云った。
「私は農民作家で、ほんとの社会主義がどこにあるか、ソヴェトのほんとに新しいもの、ほんとの古いものが何処にあるか、知っている
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