コムソモールは生産部門の全線に自分たちを動員して、党外勤労者と集団的結束をかためた。然し勤労者の中には「十月《オクチャーブリ》」以後ソヴェト同盟で生産は生産のために行われているという羨むべき事実を理解しない「棒杭《ぼうぐい》奴」もある。資本主義生産に奴隷として使われた時代の悪夢、工場とは出来るだけわが身を劬《いたわ》って働いて金をとるだけの場所と思っている者も幾分ある。積極的に五ヵ年計画、生産の社会主義的拡大に対して不賛成な反革命的分子もある。彼等は職場で、機械の歯車のかげで熱心な「ウダールニク」の努力を邪魔した。そして、鳥打帽の庇をふてくされた手つきでぐいと引き下げて、地べたへ唾をはいた。
「ヘン! うまいようなこと言ってら! その手はくわないよ。俺あ党員じゃねえんだからね。正直に、手前の背骨を痛くして耕してた百姓から牛までとっちまって、日傭いになり下がらせる社会主義ってのは分らねえんだ」
 集団農場《コルホーズ》組織に対しては都会の労働者の間にさえそういう無理解が一部のこされた。当時ソヴェト同盟の遠い隅々で集団農場組織に派遣された技術家とコムソモール、それを支持する貧中農群は富農《クラーク》、昔から村にいて革命を憎んでいる僧侶、籠絡された村ソヴェト員の一隊と、実に必死な階級闘争をつづけつつあった。農村都会プロレタリアートの社会主義建設へ向うこの複雑で多難な歴史的瞬間、新たな集団的心理の発生と日常生活の根本的な社会主義的躍進を、ではソヴェトの芸術はどう反映しているか? 階級の芸術としてのソヴェトのプロレタリア芸術がどんな社会的役割をその芸術活動を通して演じつつあるか。ソヴェト芸術の五ヵ年計画は、先ずその自己批判をもって発足したのであった。

        二つのスローガン

 ――「大衆の中へ!」
 一九二八年の末から一九二九年にかけて、ソヴェトの芸術は、「大衆の中へ!」というスローガンをかかげていた。
 だが、人々は質問するだろう。現代のソヴェト・ロシアの芸術は元来、革命とともに民衆の中から生れたものではないか。何故今更「民衆の中へ!」というようなスローガンが必要であるのか? と。
 ソヴェト同盟は革命後社会主義社会建設の第十二年目に入っていた。一般労働者、勤労者の日常生活に於ては生産・政治・文化芸術の三つが次第に理想的な割合で持たれはじめていた。
 ソヴェト
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