なった」一九三〇年の初春に行われたラップの大会は、歓喜をもってこの事実を認めた。芸術を「生産の場所へ!」というスローガンは全くこの社会的現実を基礎としたものであった。
 一方では職業的作家たちが、書斎から出て社会主義社会建設の現実的根拠地である生産の中へ入って行く。それと同時に、芸術を生産の場所においても花咲かせよ! 種だけ生産の場所からとって行って、それを育てるのは作家の書斎の中で温室的にやるのではなく、職場にあふれているプロレタリア芸術の種を、職場で、職場の労働者自身の手で育てあげよう。作家はそのために技術的助力をすべきであるという要求が、一般勤労者の中から湧き上って来た。
 これは、文学の分野だけのことではなかった。例えば、工場内の素人劇団の数が最近夥しく殖えた。彼等は活溌に機会を捕え、その場合場合に適した題材で即興的に反宗教、反帝国主義戦争などの小芝居をやっている。が、その沢山の素人劇団の指導は、決して、理想的統一をもってされているとは云えない状態にある。
 七月の党大会後、ラップは、これまでラップが行って来た文学研究会指導方針に、大変革を企てた。
 ソヴェトのようなところでさえも、文学研究会は、いつしか文学青年の巣になる危険が顕著であった。研究会員は、勿論職場にある若い労働者が大多数を占めている。一日七時間働いている間、彼等はいい労働者であった。少くとも五ヵ年計画の生産経済計画《プロフィンプラン》を忘れているものはない。ところが仕事が終って、さて手を洗って、文学研究会の椅子に尻をおちつけると、いつの間にか彼らは職場にいるときの彼らではなくなる。文学趣味に生きる若者[#「文学趣味に生きる若者」に傍点]に還元してしまう。さすがに今日のソヴェトで「月の樹かげのキューピッド」を主題とするロマンチストはいないにしろ、彼等は「働いている俺達」の豊富な生活面について具体的にうたわず、「建設される社会主義」とか「共産主義がそれを建てたトルクシブ!」とかいう観念的な、文学の美観と思われてるものにとびついてしまう傾向がある。
 個々の文学研究会は、狭いそこだけの興味にとらわれる傾向がつよく、例えばラップ全線が大衆とともにベズィメンスキーの「射撃」の批判で燃えていたとき、秩序をもってその問題を討究した研究会は、ほんの数えるしかなかった。この事実はラップを驚ろかした。
 文学研究
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