読者は文化的に高まるにつれ、文学作品を自分の経験とは独立して存在する芸術品として見るようになって来た。
 加うるに、十月革命のときにはやっと五つか六つであった子供等が、既に青年となって読者層に参加して来た。
 ソヴェトの若い新市民たちは、親、兄、姉のような自覚をもって、革命前後を経験しなかった。表現や描写の不完全な作品をよんでもそのすき間を補ってゆくような国内戦時代の自分達の経験、或る場合には感傷を持ち合せていない。だから若い読者は、容赦ない批評家として立ち現れたのである。新しいひろい社会性の上に立ち、集団生活の中で大きくなって来ている彼等は、或る時、作者よりはズッと正確な革命的・階級的観点で、当時の民衆の歴史的役割を観る力をもちはじめている。
 グラトコフのロマンチシズム、ピリニャークの傍観的な態度、それ等は、文学専門家の間で、クーズニッツァ(鍛冶屋派)及び同伴者《パプツチキ》の芸術理論として検討されるだけではなくなった。工場のコムソモールが、図書部で作品集をかりて来て、それをよんで、生活的に育っている階級的感覚から、飾りなく、どうもこういう作品は俺たちのもんじゃないや! と云うようになって来たのであった。
 ――危険な時期が、ソヴェトの作家と読者との上にのしかかって来た。
 過去の所謂文学趣味に毒されていない、溌溂たる新興プロレタリアートは「十月」とともに輩出した作家たちの書くものに、無条件に満足してはいない。真にもっと新しいもの、ほんとうに自分たちの毎日の生活を再現したものを熱烈に要求している。だが、作家たちの生活は、果してその大衆的な要求を満すに適当な条件のもとに営まれているであろうか?
 そうでないことは、否定し難い事実であった。
 第一、革命の当時は、即ち彼等が第一作を書いたときは、彼等はまだほとんど作家ではなかった。或る者は農村で、或る者は都会で、何か生産的な集団の中に目立たぬ一員として参加し、革命の歩みとともに毎日歩いたり働いたりしていた。十一年目に、はっきりめいめいの職場がわかれた。彼はもう専門的な作家で、昔の農村委員会時代の書記ではない。従って彼がその周囲にもっている集団は昔日の大衆ではなく、主としてかぎられた文学的集団になって来ている。
 文学の主題としての、国内戦は、記録文学《ドクメンタリーヌイ》の時代をすぎて既に革命の歴史的観点から、丸彫
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