、この事実をかたっている。
 永い戦争の間、八絋一宇精神にしたがえられて、「日本が勝つためには」と追いつかわれて来た働く人々の間からは、スパイ制度と憲兵の活動によって、労働者階級として読むべき政治的な書物は根こそぎ奪われていたし、働く人々の日常からの判断としておこる当然の戦争に対する疑問や批判も、刑罰をもって監視されて来た。
 したがって、八月十五日までは勤労動員で奴隷的労働をしていた青年労働者たちが、三ヵ月ののち、そこに出来た労働組合の青年部員と組織されたにしても、その気持がすっぱりと階級の意識と階級の規律とにつらぬかれた青年労働者として転換しないのはやむを得ないことであった。組合の政治教育、文化・文学教育も、政治教育はとくに活溌ではあったが、それとても自分のところの組合組織の確立、ストライキ、他の組合のストライキの応援と、職場の活動的な分子ほど、彼の二十四時間は寸刻のゆとりもなかった。この種の事情は産別宣伝部で発行した『官憲の暴行』という各職場からのルポルタージュをよむと、誰にしても諒解せずにはいられない。
 この重大な時期に民主主義文学運動の中軸としての労働者階級としての文学は、
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