のであるかのように繁昌し、それとのたたかいに忙殺された。民主主義文学運動の中に、労働者階級の使命を明らかにして、おのずからプロレタリア文学の伝統のどの部分が継承されなければならないか、という点を押し出すことは、そのたたかいの中にとかされた。一つには、もとのプロレタリア文学時代活動した人々が、当然民主主義文学運動を提唱することになったから、ある意味では、かえって、「昔のプロレタリア文学ではないもの」を要求する空気にひかれたこともある。これらの人々の内部に同じような要求もなかったとは云えないと思う。
 民主主義文学がもとのプロレタリア文学とちがうところは、階級の問題もただテーマ小説としてかかず、「内から書く」民主的ヒューマニズムに立つところだとされた。一九四七年の夏ごろ、文学サークル協議会の指導者の一人だった島田政雄は、日本の労働者階級、勤労者の現実では、労働者階級の勝利、社会主義社会を展望する社会主義的リアリズムの創作方法を云々するのは尚早であって、「人民的リアリズム」を提唱すべきであるという段階論を発表したりした。
 この発言は、一九四七年の二・一ストとよばれている時期の前後に日本の勤
前へ 次へ
全53ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング