労生活者の文化水準は半封建的でおくれているから、文学の創造をいうよりもダンスが直接にそれらの人々の文化欲求をみたすものであるという考えが一部におこった。この期間、実際には勤労する人々の中から、いくたりかの詩をかき、小説をかき、戯曲を書く人々が生れていた。この間、大衆の健全な娯楽、階級的な文化の一般的啓蒙、あらゆる角度と種類からの労働者階級の文学、民主主義文学の創造と普及とは、必ずしもそれぞれの特殊性を有機的にいかすくみ合わせで組立てられてもいなかったし、動かされてもいなかった。
 一九四八年の秋以後、中国の人民民主主義革命は勝利に近づきつつある、そして、それは勝利するということが、世界の目にあきらかとなった。
 おもしろいことは、日本の進歩的な人々の感情の一部には、中国革命に対しては、ソヴェト同盟の社会主義社会の建設に対するよりも、東ヨーロッパの人民民主主義に対するよりも、ずっと寛大さがあるということである。一部の人々の間には中共に対するトスカさえあると云えると思う。
 帝国主義のレンズが集中している上海に入った中共の解放軍が、その行動の実際で日本の新聞にさえ一行のデマゴギーを報道流布することを許さなかった事実は、真によろこばしい、そして敬服すべきことだった。沈毅、純朴な若い中国の人民のまもりてたちを思いみることができた。
 中国人民の独立の近づきつつあることは、日本の国内情勢に微妙な反応を与えた。一方の力は、日本を防壁として確立させるために一層積極の方法を押しすすめはじめた。それに反して、労働者階級は、そして民主的な人々は、中国の解放を、アジアの民主勢力の決定的なプラスと見たのは正当であり、世界民主勢力のより一歩の勝利と見たのも正当であった。
 同時に、一部には、何かの錯覚めいた性急さが湧いた。国内の反民主主義的な圧力、抑圧に抵抗しずにいられない客観的な必然がより一般的に生じたとともに、日本の民主勢力の攻勢が何かのたかまりをもてば、どうやら中国の勝利につれて何かのゴールに、達しでもしそうな気分が浮動した。国内の情勢をはかる場合、プロレタリアートの先進部隊としての役割が改めて重大関心の焦点となった。
 民主主義文学運動が、その本来の性質にふくんでいる人民としての政治的要素、階級文学としての政治性は、ここにおいて一九四八年末から一九四九年にかけ、一つの複雑で貴重な試煉
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