刊行された。彼のような穏当な学究さえも彼の理性が超国家主義と絶対主義に服従しないで立っているという理由で起訴され裁判された。河合栄治郎が学者としての良心の最低線を守ろうとした抵抗の精神は、人事院規則に対する南原の線を守る人たちの抵抗でもある。
 日本の平和擁護のための運動に対して傍観的であり、あるいは嘲弄的であるのは、福田恆存一人ではない。福田恆存がそこに加っていないということで日本の「平和を守る会」や「知識人の会」が、その動機と行動において、ほんとの程度がわからないという客観的よりどころにはなりようもない。
「メダカはカタマルのが好き」というある作家の言葉は一九四九年度にも民主的な動きへの嘲弄の道具につかわれて来た。しかし、どんな孤高の人が、輸送船の中へカタメテつみこまれなかったろうか。ジャングルの中にカタメテすてられた部隊から、一人はなれた人の飢餓と苦悩の運命の終焉が、カタマって餓死した人々の運命とその本質においてどうちがったろう? 最悪の運命の瞬間に、八千五百万の利用できる人々としてカタメられることを拒絶するために、カタマル人民、メダカの精神とその発言のうちに現代史のヒューマニズムがある。
 外面の卑下と内面の優越をもって「であります」調の私的評論が流行したのも一九四九年の一現象であった。個人としてそれらの人々がどのように歴史の現実をうけとり、それを表現し、そのことによって、進んでゆく歴史と自分との関係を、おのずから客観の証明のもとに浮き上らせてゆくことは、もとより各人の自由であると思う。
 だけれども、社会と文学との諸問題について、「同時代に対する少しぐらいの盲点をおかしても、むしろ現代の論理を把握する技術として、創造への道を提示する」(「批評の盲点」瀬沼茂樹)批評があってよいし、なくてはならないのは、事実ではないだろうか。「現代において、現代の真の意味から文学を判断することは生やさしいことではなくても、日常批評においても、仮りに私が一定の歴史的立場からする批評とよぶものを貫徹することが必要である」(同上)
 福田恆存のように一九四九年を、「知識階級の敗退」の年と概括することは、日本の内部に実在する民主的勢力の実際のうごきをあっち側に立って見ての一方的な見かたになる。一九四八年の下半期から四九年にかけて、基本的人権の防衛に関する生活実感の高まりと民族の自立の
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