is such a thing”という言葉がある。ふち飾りである文学が、人類の歴史の進歩に大きく作用する力はなかった。十九世紀のイギリスのロマンティシズムがレルモントフに影響し、サッカレーやディケンズのリアリスムがトルストイなどに作用したにしても、その結果あらわれたロシアの六〇年代の小説と評論は、それが本来の人生の問題につき入っていたからこそ世界精神につよい響をつたえた。戦前、ヴァレリーの「ドガに就て」を訳して、名訳といわれた吉田健一という名を思いおこすと、こんにちの「英国の文学」だの、父親の代弁として、ユーモアのないところに思想はなく、だから文学はないという風なくちのききかたも、何となく中間小説作家流の|本来の人生《ライフ・プロパア》の姿を語っているようでもある。
 英文学者の中野好夫が、英国の文学は、人生のふち飾りなりの論に一言も交えず私小説反対に話の糸をつないでいるのは遺憾である。中野好夫は、牢獄も死も覚悟して、「意見と発表の自由に対する権利」をふくむ「人間として基本的なものだけは守りとおす決意をもって」いるのだから、社会的現象である文学の話で、意見[#「意見」に傍点]をあらわしていいと思う。
 中野好夫に意見と発表の自由に対する権利を十分発揮させなかったのは、彼の「私小説」否定のコンプレックスである。私小説の否定論そのものの本質、展望が、現在のところではまだ歴史性に立って確信的に把握されていないからであろうと思われる。

 同じことが、同じ原因で三好十郎の「小豚派作家論」にあらわれていると思う。彼独特の発声法で、中間派作家とその作品を罵倒しながら、最後には、ひいきの尾崎一雄を、その「『アミ』がいくらか古めかしく」純粋になってしまって現代生活の流れに浮いた「アクタモクタの全部は尾崎のアミに引っかからなくなっている」という不平はとなえた方がよい、としている。はためにみれば、そもそも文学をはずれて繁栄している中間小説と、私小説がひとしお煮つまって一種のエッセイ風の作品となっている尾崎一雄の文学とを同列に語ることさえ、謂わば荒っぽいセンスである。「私小説の否定」というきょうの文学のやわたしらず[#「やわたしらず」に傍点]の中で、三好十郎もまた吐くのは反吐《へど》という姿にある。「では誰のアミが現代のアクタモクタをホントにしゃくいあげることができるだろう? 田村泰次郎
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