古典からの新しい泉
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九四〇年十一月〕
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世界が到るところで大きい動きと変化とをみせていて、この状態はおそらく五年や六年でおさまるものとは考えられない。
第一次の欧州大戦ののち世界の文学は非常に変化して、日本も文学の歴史に一つの転換を示した。
今日から明日へかけて私たちの吸う空気のなかに感じられている現代の波立ちは、その間からどんな文学を生み出して行くのだろう。そのことは、つまり私たち自身がこれから先数年の激しい生活のうごきの間に、どんな風に変ったり成長したりするだろうか、ということになるのであると思う。
文学そのものが動揺しているというよりも文学に従事している人々が、文学をどう見てゆくかというめいめいの態度の上での動揺がこの頃大変目立っていて、文学を愛すものの胸に何となしの不安をよびさましていると思う。
いろいろな人がいろいろなことを云って、新体制と云って何か急に特別なものが文学の姿で出現しそうな感じを与えて、これまで文学というものは大体こういうものと思ってそれを愛していた人は、はたと行手にちがった形でも描き出さなければならないような一種途方にくれた気持にもさせられているのではないだろうか。
日本の歴史を辿ってみても、よその国の歴史を眺めても、いろいろの時代に文学は様々の解釈を下されて来ているが、それが人生の真のよろこびと悲しみとの姿を映したいと希う人間の精神のあらわれであるということについては、どんな解釈も文学としてのその本質を否定することは出来なかった。
世の中には随分巧な宣伝文や広告があってひととおり人々の目をひきつけるが、それが文学でないということは、誰でも心の底では知っていることである。本当の立派な文学というものは、その作品のなかに描き出されている世界に私たちが自分の心をひきつけられて、そのなかに自分のものであって自分には表現することが出来ずにいた数々の思いを見出してゆき、それによって新しく人生を考えさせられ、感動させられてゆくものだと思う。
日本は未曾有の生活を経験をしていて、この経験はこの先々益々深められてゆくものだから、文学にしろ、そういう私たちの生きてゆく歴史のなかで、変らずにいることは全くあり
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