詳細に申上げます。どうぞ、今は一粒、あの薬をおさき下さい」
 ルスタムは王の傍を通って天幕の奥の調度の方に行こうとした。
「こら!」
 カーウスは、手を延して遮った。
「卿自身の用なら、儂は袋全体もやる。ここに持っているが」
 彼独特の薄い微笑を頬に刻んだ。
「卿の息子という奴にはやれぬ。ツラン人を母に持ったらツラン人だ。また卿の血を受けたのが事実なら、定めし骨節のある頼もしい戦士だろう。――儂は、イランの勇将はいくらでも欲しいが、ツランにそれは望まない。儂は偶然が実に巧妙に退治してくれた猛獣に薬を与えて生きかえらせ、揚句の果に自分が噛殺されるのは望まぬ」
「王!」
 哀訴と怒声がルスタムの口を衝いて出そうになった。それを、彼は歯を喰いしばって堪えた。永年のことで、ルスタムはカーウスのひねくれが何処迄根づよいか、考えなおしたのであった。自分が一言喋る間にも、あの血を吸った砂の上でスーラーブの命が失われているという意識が、一方の希望を失うとともに、ルスタムを寸刻もそこにじっとさせて置かなかった。彼は、軽く頭を下げた。天幕を出ると、走って、馬に跨ろうとした。が、彼は悪いものを見た。
 スーラーブの傍についている筈であったギーウが、少数の卒を従えて、此方に向って来かかっていた。ギーウの頭は、深い哀悼を示すように胸に垂れていた。手にはルスタム自身がぬがせてやったスーラーブの鉄の兜が仰向けに捧持たれている。ルスタムは、手綱にかけた手をとめ、釘づけになったように眼を凝した。静かな、短い行列は、輝く主のない兜を守って、実にひっそりと、無限の空虚を運んで来るように感じた。
 ルスタムの、老いた顔は、急に引釣った。膝頭がまるで力を失った。
 彼は蹌踉《よろよろ》と! 馬の脇に靠れかかった。
 彼は、頻りに片手で額の汗を押し拭うようにしながら呟いた。
「よし、よし。わかった。――が、この父のルスタムは、讐をどう討てばよいのか……」



底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第二巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「小樽新聞」
   1924(大正13)年1月14日〜3月9日号
※底本では、二度目に現れる「内房」についていたルビ「アンダルーン」を、初出につける形にあらためた。
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年1月24日公開
青空文庫作成ファイル:
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