タムは、不承知の感情をありありと顔に表した。ギーウは、それを見てとり、気軽そうに云った。
「何一寸卿の有名な白馬ラクーシュと卿の旗を見せさえすれば好いのだ。そんな青二才なぞは、穢わしいジャッカルのように尾を巻いて退散するだろう」話の中に繰返される主将が若者であるという点が、何となくルスタムの心を牽いた。彼は漠然とした好奇心で尋いた。
「一体その若者というのは何者だ? 幾つ位か、フィズルが話したか?」
「話した。何でも二十になったかならない位に見えたそうだ。ツラン風に帯でしめつけた衣服をつけているのに、頭には磨いた、まるでイラン風の兜を戴いていたそうだ。それで見ると、イラン国境に近い属領のものと思えるな」「ふふうむ――」ルスタムは、何か遠い記憶を思い出して辿るような眼つきをした。彼は、それらの言葉が心の中に入って、じっと眠っていた何ものかを掻き立てるような感じに打たれたのであった。自分が、昔、昔、未だ壮《さか》りの年であった頃、盗まれたラクーシュを追ってツラン境のサアンガンに行ったことがあった。彼処の男等は、そういう半々な風をしていたのではなかろうか――まざまざと二昔前の情事の印象が蘇えって来た。
 若しや、万一、その若者というのは自分の息子ではあるまいか。ルスタムは、我知らず髭をかみ、つきつめた顔をした。若しやそれが自分のたった一人この世に持った息子だというのでないだろうな。ルスタムは、ギーウが怪しんだほどゆるがせにならぬ調子で追窮した。
「何処の者か聴かなかったろうな」
「――わからぬ。が、いずれ高の知れた者だ」
 ギーウは、要点に立戻るために語調を更えた。
「然しとにかく悪戯をさせておけぬから、一刻も速く定りをつけなければなるまいが――卿は何時出発して貰えよう。儂は至急戻って復命し、準備をする」
「――さて、――」
 ルスタムは、凝っと広間の一隅に目をこらし、深く思い入った風で呟いた。
 彼はギーウに向ってよりも寧ろ自分自身の心に対してこの一言を呟いたのであった。思いがけずきいた若者のこと。つれて心に湧いた疑問は、ルスタムにとっても意外なものであった。まるで今の今まで忘れきっていた古いことが急に活々と心の表面に浮び上って来るや否や、もう紛らされたり、除かせられたりしない根強さで、考えの中心勢力となってしまった。而も、それが理窟で判断すれば、不合理なものであるのをルスタムは知っていた。彼は、サアンガンにわざわざ使者をやり、子供の誕生の有無を確めさせた。サアンガンの王女は自ら、母とならなかったことをその使に托して告げて来た事実があった。それだのに、猶このようなはかない妄想を抱くというのは。
「さて――自分はそれほど寥しがっているのか」
という、言葉にならない歎息がルスタムの胸に起ったのであった。

        二十五

 彼は、純白の纏布を巻きつけた頭を軽く左右に振った。そして、気をとりなおし、ギーウに新な酒を勧めた。
「――卿の立てなくなるまで果物酒を振舞おう。その代り今度のことは」
「いやそれはならぬ」ギーウは差した盃をわざと引っこめて云った。
「それでは心を許して好物も味わえぬ。狡い老人だな、王の命令まで盛潰そうとする」
 二人は愉快そうに声を揃えて笑った。がルスタムは直ぐ、真顔にかえった。
「卿を使者に遣わされた王の思惑はほぼ推察がつくが――全く、今度のことは卿の働きにまかせよう。年寄が出るがものはない」
 ルスタムは、四辺が暗くなると広間に幾つも大|篝火《かがりび》を燃させた。揺れる赤い光で、広間じゅうが照った。
 再び、黒人の芸人娘が呼び出された。
 彼女等は昼間とは服装を更え、縮れた碧色の髪に、強い香を放つ乾花の環を戴いていた。衣服は薄く漣のようにひだが多く、鐃※[#「金+(祓−示)」、第3水準1−93−6、375−11]《にょうはち》を打って踊る毎に、体の形がはっきりすき透った。踊娘等は、白眼がちのきれ上った大きな眼に野蛮な媚を湛えて、ギーウやルスタムに流眄を与えながら、時には乳房が男等の頬に触れそうになる迄かけより、すりより、またさっと飛びのいて踊る。広間の外の歩廊の闇の中で、多勢の気勢がした。踊子等が黄金の踝飾《かしょく》をきらめかせ、大胆に脚をはね上げて踊って行くと、俄かに抑えかねたどよめきが起った。城内の男等が見物に来ているのだろう。ルスタムは、ひらひら床の上に入り乱れる女等の影や、微風ではためく篝火の焔、忍足で外廊を過ぎる人影などをぼんやり見遣った。彼の心は、周囲の賑やかさ音楽の騒々しさに拘らず、妙にしんとしていた。ただ一つのことが、しんから彼の念慮を捕えていた。ツランから来た若者のことである。始めアフラシャブ侵入のことを聞いたとき、ルスタムは、単純な面倒くささから出るのを嫌ったのであった。けれど
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