人は、急に沢山になった藪のような白髭と白眉毛の間に、弾力のない黄色い皮膚をのぞかせ一言を云おうとする前に、幾度も幾度も、あぶあぶと唇を動かす。唇に色がなく、口を開けると暗い坑のように見えるのが、スーラーブに無気味に感じられた。
付添っていた家臣が、背に手を当てて、彼を病人の顔に近く、かがませた。スーラーブは、我知らず、自分の顔が、異様な祖父の顔にくっつくのを恐れ、頭を持ち上げた。
祖父は、なお暫く息を吸ってから、やっと聴こえる声で、
「スーラーブ!」
と、彼の名を呼んだ。弱々しい切なげな声が恐ろしい容貌を忘れて馴れた祖父を思い出させ、スーラーブは、俄に喉がぐっとなるのを覚えた。彼は、熱心に次の言葉を待って息を抑えた。
「儂はもう駄目だ。卿と狩にも行けぬし……」
祖父は言葉を選んでいるように躊躇し、つづけた。「いろいろ教えてやることも出来ん。シャラフシャーの云うことをきけ。シャラフシャーが、儂の役を引受けた。」スーラーブは自分の傍に立っている家臣を見た。何か不満足な、意に満たない感じが彼の胸に湧いた。けれども物々しいその場の有様が、彼に沈黙を守らせた。
「シャラフシャーは間違ったことは云わぬ。サアンガンの恥になることはせぬ。よく云うことをきけよ」
祖父は、草臥《くたび》れるほど長いことかかって、これだけを云うと、枯れた小枝を継ぎ合せたような手を延して、枕の上を探るようにした。
シャラフシャーがこごんで、何か訊き、頷くのを待って、積んだ枕の下から、羊皮の小さい袋を出した。そして、それを病人の手に渡した。
厳粛な四辺の雰囲気の裡にもスーラーブは、激しい好奇心を、その小袋に対して感じた。祖父は大切そうにそれをあげ、額につけ、スーラーブに向って合図をした。スーラーブは、シャラフシャーに云われるままに、祖父の方に右手を出した。祖父は、ぶるぶる震える手でその小袋を彼の掌に置くとそのまま確かり自分の手で外から握らせ、
「儂の守りを遣る。儂は、父上が死なれる時その臨終の手から貰った。サアンガンの幸運が卿と卿の子孫とに恵まれることを」今迄薄すりと眼を瞑り、唇だけ動かしていた祖父は、この時急に、生きている勢いの全部をその刹那に込めるように、ぱっと双眼を開いた。
そして、スーラーブの、切れの長い、真面目な眼を射抜くように見据えながら、はっきり、
「父のない子を見よ、と云われる
前へ
次へ
全72ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング