男は、わざと、溜息をついて、言葉を切った。飛んだと思ったのもほんの瞬きをする間で、十尋も地面を離れないうちに、四隅で吊上げられた玉座は、ひどい有様に揺れ始めた。王は、上で滑ってこの槍につかまったかと思うと、彼方の槍の根元に転げかかり、七転八倒するうちに何時まで経っても届かない餌物に気を苛立てた鷹は、槍の矛先を狙うのをやめて、さんざんばらばらにあがき出した。下では群臣が、拳を振りあげ、声を限りにあれよあれよと叫んでいる。するうちに、一羽の鷹がどよめきの裡でも特に鋭い鷹匠の懸声をききつけたのか、さっと翼を張って下方に向った。拍子に、ぐらりと玉座が傾いたかと見る間に、王は籠からこぼれる棗《なつめ》のように、脆くも足を空ざまにして墜落した。
「その機勢《はずみ》に、王は何の積りか、無花果《いちじく》の実を一つ、確かり握って来られました。汁で穢れた掌を開いて潰れた実をとってあげようとしても、片手で挫けた腰を押え押え、いっかな握りしめた指を緩めようとされず、困ったことでございました。
『あの鷹匠奴! あのしぶとい奴等め!』と息も絶え絶えに罵られましたが、流石に愧じてでしょう。十日ばかりは、お気に入りの婦人でさえ、お傍へ許されませんでした。先刻申上た縞瑪瑙も、実は、煎薬の匂いで噎《む》せそうな臥床の中でおもとめなされたような訳で。――一事は万事と申します」
 商人は、意味ありげに、声を潜めた。
「イランは、ルスタムという柱で持っております」スーラーブは自分の内の考えに領せられ、笑いもしなければ、見えすいた追従を悦ぶ気振もなかった。彼は暫く黙ったまま、先刻から手に持ったぎりでいた土耳古玉を目的もなく指の間で廻すと、思い切った風で、
「卿はルスタムに会ったか?」
と問ねた。彼の顔には、目に止まらないほどの赧らみと、真面目な、厳しい表情とが浮んだ。
「今度は、残念ながら会いませんでした。ルスタムは、一昨年、マザンデランで白魔を退治してから、ずっと、シスタンの居城にいるとききました」
「もう余程の年配か?」
「六十度目の誕生は、間違いなく祝われましたでしょう」
「…………」
 商人は、流眄でスーラーブの黙っている顔を見た。熱心な集注した様子が、彼を愕かした。商人は、心|私《ひそ》かに、自分の煽てが利いたと想像し、ツランのアフラシャブへよい注進の種が出来たのにほほ笑んだ。そして、一層誠ら
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