当をした。彼は、叱りつけて水をとりにやった。思うようにならない老年の、ぎごちない指を縺らせながら自分の帯を解いて傷を縛った。そして、絶間なく、スーラーブの開いている口に頬をつけて息のあるなしを確めた。二人の卒が、スーラーブの体の上に、彼等の上衣をひろげて持ち日除けを作った。
 ギーウの姿が目に入ると、ルスタムは、遠くにいるのに、
「どれ、どれ!」
と手を出した。
 ギーウはすまない顔をして首をふり叫んだ。
「――ない!」

        五十二

「どうして? 王の処にない筈はない。きのう、儂は袋を確かに見た」
「袋はある。あるのだが――」
 ギーウは、ルスタムの耳に囁いた。
「王は渡さない。ツラン方に卿の息子がいたなどということはない、というのだ」
「!」
 ルスタムは、拳を握って立上った。
「よし。儂が行って来る」
が、痙攣が起り出したスーラーブの姿を見ると、ルスタムは、砕けるようにギーウの手をつかみ、たのんだ。
「どうか見てやってくれ。すぐ来るが。――それから、万一訊いても儂の名はきかせてくれるな」
 ルスタムは、王の天幕まで、つきない砂漠でも横切るように永くはかどらなく感じた。天幕に入って見ると、王は至極落付かない風で、手を後に組み、寛衣の裾をけって彼方此方歩いている。彼は、ルスタムの入って来るのをじろりと流眄で見、歩きかけた廻りをつづけた。
 ルスタムは、辛うじて、定規の礼を行い、頭を擡げると同時に口を切った。
「王、唐突な願いですが、何卒御所持の、あの血どめの秘薬を、御恵み下さい。只今ギーウに願わせましたが、御理解なかったと見え、御仁慈にあずかり得ませんでした。早急に願わしいのです。何卒」
 カーウスは、ルスタムの真正面に立ちはだかり、灰色の冷やかな眼に疑深い色を煌めかせて云った。
「卿の推察は珍しく誤った。ギーウに薬を渡さなかったのは、理解しなかったからではない。最もよく、未来まで洞察したからだ」
「王! 後々の責任と感謝とは、このルスタムが余生の全部を捧げて尽します。お耳に入れたでしょうが、思いがけないことで、儂はいると知らなかった自分の息子は――儂の手で刺してしまった。儂自身のためなら、決して斯様な願いは敢てしませぬ。わが命は王のものです。然し、彼奴は生きのびさせてやりたい。儂の苦しみを、せめて王の秘薬にすがって癒せるなら癒させたい。後程、事情は
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