の一点から、二羽、黒く大きな鳥が舞い立った。そして、迫らない羽搏きで矢のように、真直虹の中心めがけて翔び去った。
 ルスタムは、風景全面から、悦ばしい勇気づける印象を与えられた。彼は、昨夜の祈りに対する、暗黙の応えが自然のうちに現わされたのを感じた。まるでイランに冠したようなその虹の姿は、彼に吉徴としか思われなかった。神が自分の側にこのような歓びの前ぶれを与える以上今日の勝利は信じてよく、結局あのツランの若者は、一人の敵に過ぎなかったことではないか。
 暫く眺めると、ルスタムは勢いよく天幕に戻った。そして、侍僕に手伝わせ、念入りに武具をつけた。彼は珍しく自分で閲兵した。ギーウに会って昨夜の相談を快活に、――その実行の不要を直感させるような張りのある語調で繰返した。ルスタムは、ツランの若者と戦を交えてから三日目の今朝、始めて自分の裡に眠っていた戦士気質というようなものが遺憾なく目醒、活動し出したのを自覚した。遅疑がなくなった。勝利に向って飽くまで突き進もうという血気が生じた。彼は牽き出されて来た灰色の馬の鼻面を掌でたたき、脚つき蹄鉄等を注意して見てから、身軽くそれに跨った。雨水を吸い込んでしっとりとした砂まじりの地面は、兵が進行し始めると数多の重い足調の下で、サック、サックとなった。
 遠い地平線の虹は消えた。碧い空が透明な日光に耀いて、動く人間の濃い影が入り混った。
 前後して、ツラン軍も高地を降って戦線についた。スーラーブは、整列するまで昨日と同じ騎馬でいたが、羯鼓が鳴り出すと、馬を降りて徒歩立ちになった。彼は、今日こそ、心を引締めてこの勝負に片をつける決心でいた。それには、昨日の経験で、徒歩の方が自分に強味のあることを考えたのであった。
 キラキラ、兜のはちを輝かせ、スーラーブが歩き出すのを見ると、ルスタムは、一種の激しい衝動がこみあげるのを感じた。
「忘れていた昨日の恥辱を思い知れといいたげに、あの若者は、自分の方を見るではないか!」
 ルスタムは、手綱をばらりと落し、ひらりと馬を降りた。彼は、誰かの手で出された鉾を引掴んだ。そして、性急らしく戦列を離れた。太鼓がイラン側から、立て続けに鳴った。ツラン方は、主将の勝利を確信しているらしく、間々に鬨の声をあげては、悠揚力を籠めた羯鼓を打込んだ。
 ルスタムは、近づいてスーラーブの顔を見ると思わず鉾を握りしめた。若
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