は、そのように我からしんみりとなって、とどのつまりは尾崎一雄におもてを向け、結局君なんかがもうすこし、しっかりしないからいけないのだ、と半ばたしなめ、半ばあきらめて歎息することになったのであったろう。
 三好十郎は、いわゆる肉体派作家、中間小説を主張する作家の多くの人々の人生態度と作品の安易な商品性を明らかに軽蔑する。けれどもその軽蔑にもかかわらず、他の一面では、彼の名づける小豚派文学の、発生の社会的起源について、否定しきれないものをもっている。はげしい前線の生活も経験して来た壮年の一部の作家たちが、戦後日本の錯雑した現実に面して、過去の私小説的なリアリズムの限界の内にとどまっているにたえないのは必然である。日本の社会現実を全面的にすくい上げようとして彼ら一部の作家たちは新しい投げ網をこころみている。少くとも、その必然と大胆さは認めてやらなければならない、と。過去の私小説やそのリアリズムにあきたりない思いは、三好十郎自身のうちに烈しく存在している。その共感にひかされて、三好十郎の毒舌も、しまいはブツブツ、現在の肉体派や中間小説が、現代文学の新しい局面を展くためには、無益であるばかりか有
前へ 次へ
全21ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング