べての知識人、勤労者、農民の精神と判断と発言とを萎縮させた。徳川時代のとおり、ご無理ごもっともと、ばつを合わせつつ、今日私たちの面している物質と精神の破壊にまで追われてきたのであった。
 この時期、人々はできるだけ自分というものを目立たせないように努力した。個性や性格をきわだたせることさえおそれた。そして、低く低くと身をかがめたのであったが、このひどい屈伏が、一九三〇年以後におこったところに、今日の文化にとって重大な問題がひそんでいる。山の彼方の空を眺め、山の頂をはるかに通じる一筋の道を眺めたものにとって、窓をしめ、地球の円さは村境できれているように思いこみ、この村ばかりの優秀を誇るというのは、不自然で息苦しく愚劣にたえがたいしまつであった。徳川時代の民が土下座したとき、その埃のふかい土は素朴で、けっして現代のドライヴ・ウェイをもたず、全波ラジオをもたなかった。封建生活そのものとしての統一があり、封建の枠の内でつつましいおのれは分裂していなかった。自我の分裂の苦悩を封建人は知らないで生き、そして死んだのであった。最近十数年の間、日本の自覚あるすべての人々は、この深刻な自我の分裂に苦悩し
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