」「キュリー夫人」などにさえ、私たちは感動し、毅然とした人間精神の美しさに詩と慰藉とを与えられた。人間が人間を生かし殺す力の媒介物たる金銭というものの魔術性をあらわにし、それが近代社会を支配する大怪物として蓄積されてゆく過程を明らかにして、人間性の勝利の実質、生産する者が生産を掌握することの自然さを示した社会科学者たちの業績と、それを実践する人々にたいして、その雄々しさと真実さと、それゆえの美を感じられないということがどうしてありうるだろう。
 愛が愛でありうるのは、それがつねに具体的であるからである。あらゆる状況に面してひるまず、その必要に応じて必ずなにかの方法を愛が見いだすのは、それが具体的であるからこそだと思う。美が美として存在するのも具体的だからこそである。空虚な空間をきって、あのおどろくべき美を創りだしている法隆寺壁画の、充実きわまりない一本の線をひきぬいて、なおあの美がなり立つと思うものはない。詩情の究極は人間への愛であり、愛は具体的で、いつも歴史のそれぞれの段階を偽りなくうつし汲みとるものであるからこそ、そこに真実と美のよりどころとなりうる。わたしたちの世紀に、どうして私
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