りかえて、それに映れば焦点がわれて、かざされる剣が光輪のようにも見える状態をつくろうとしはじめている。
第一次ヨーロッパ大戦の後、西欧の小市民生活の安定がつきくずされた。旧い権威は、王座において個々の家庭において崩れた。この社会的不安が肉体にあらわす精神障害を、一つの抑圧されたコムプレックスとしてフロイドは解明しようとした。当時でも、この方法は十分科学的ということはできない、精神現象の生物的性格に局限された扱いかたであった。しかし、フロイドの精神分析は何かの形で、当時の精神苦悩を解決するように思われた。西欧の文学はその時代において一方にプロレタリア文学の道を拓き、その反面自身の歴史的展開の方向を見失った面では、フロイドの学説に動揺する心理のよりどころを見いだし、心理主義に進んだ。その女流選手であった英国の※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ージニア・ウルフが、こんどの大戦がはじまってまもなく、生きつづける精神のよりどころを失って、自殺したことは、私たちに深い暗示を与えたのであった。
私たちは、生きることを愛する。働きのうちに歓喜を覚えて生きることを欲する。そのために、私たちが自身の精神を強壮にもどし、暢《のび》やかなものとし、自身をしっかりと歴史に立たせるために、今日するべきことは何であろうか。
精密な、そして情愛にみちた一つの仕事がここに提示されていると思う。これは、とくにこの戦争以来、私たちの精神をいためつづけてきた暴力によってつくられた、われわれの内部的な抗議の自意識へ固執する癖、という複雑な社会史的コムプレックスをとりあげて、それをほぐし、そこまで飛躍することであろうと思う。
今日、あちらこちらで聞く言葉がある。それは、民主日本の扉が開かれることになってから、どんなにか従来の進歩的であった人々が溌剌と躍動して、思想の面にも次々に新鮮なおくりものをするかと期待していたところ、その現実には案外に飛躍性が現れてこない、ということである。たとえば、ここに一つの論文がある。書かれている要旨は進歩に目標をおいたものであり、ラディカルでさえあるものなのに、その文章の行間を貫く気魄において、何かが欠けていてものたりない。そういうことをしばしばきく。かえって、抑圧がひどかったとき、岩間にほとばしる清水のように暗示されていた正義の主張、自由への鋭い憧憬の閃きの方が、
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