二倍どころでなく上る。いくらかやすくなったのは魚類で十五円のものが十円になった程度である。政府と最も近い関係にある面での物価が、三倍からそれ以上につり上げられて、逓信院ではハガキ二十五銭、封書五十銭にしようとしている。
 これらは、実におどろくべきことである。人民の使える金は、「五人家族五百円標準」ときめて、金を銀行、郵便局へ封鎖し、生きるために欠くことの出来ない生活必需費を、グイ、グイとつり上げている。私たちが、自分たちの頸のまわりで繩が段々締って行くように感じるのが、間違っているだろうか。
 封鎖された金は、人民生活の改善のために使われようとはしていない。政府は、モラトリアムまで布きながら、今だに、軍需産業への補償というようなことを云っている。「欠損をしている」のは、帳面づらだけだと、誰にも分りきった軍需生産者、つまるところは、戦争で儲けつくした者たちに、何故か幣原内閣は、なおも追銭をやらなければならない義理を感じているのである。戦争中、人民から集めた国防献金は七億円あまった。それは、今どこに管理されている。日婦が、一応解散したとき一億円だかの財産があった。それも、どこかの役所にしまいこまれている。
 失業者は二月下旬に五百八十三万人と云われた。これは、日本の失業統計のレコード破りである。これだけの人数が、みんな一ヵ月世帯主三〇〇円、家族数一人につき一〇〇円ずつの預金をどこからか下げて、あらゆる三倍ずつの生計費をまかなって暮し、花見をして、上機嫌で平和の春がうたえるものだと、かりそめにも思うものは無い。
 労働法が出来たけれども、国鉄従業員が尤もな待遇改善を求めると、当局はそれを拒むことの出来ない代りに、忽ち、運賃値上げをして、人民の負担に転化する。逓信院の値上げにしても同様である。何十万人という従業員は、やっといくらか給料がよくなったかと思うと、はや、のっぴきならぬ生活必需費で、増したよりも多くしぼられる。国鉄という一場面、一職場で、よしんば給料が上ったにしろ、日常必需の他の面でハガキ一枚二十五銭になられたのでは、やり切れないのである。まるで、人民はこう云われているように感じる。民主の日本と云い、労働法をつくれと云ったから、その通りにしてやった。云うとおりにすればこんな工合だぞ、と。一つの職場に働く勤労者、一般市民が、待遇改善に成功する他の職場の勤労者に対して
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