えずにはいられない。一人一人の若い女性が身にあまる現代の疑問と慾求とに満ちて生きている。そこへ、選挙権が与えられた。ひしと身に迫り、身内に疼いている生活上の様々の問題に対して、自分の一票は、どんなに力となってそれを展開し解決に向けて行き得るであろうか。どこへ一票を投じたならば、生活そのものから湧いている多くの願いは正直に答えられ偽りなく行動されるのであろうか。
 真面目な若い女性にとって、自分たちがもつ選挙権の行使ということは、生きてゆく良心の課題として立ち現れて来ているとさえ思えるのである。
 若い、敏感な女性たちは、政治に対する自分の判断に、自信がもてないのではないだろうか。自分がまだ十分の経験や常識をもっていない、という不安ばかりでなく、もっと広く、もっと深く、日本の女性全般が本当には何も分ってはいないのだ、という普遍的な頼りないこわさ[#「こわさ」に傍点]を感じているのではないだろうか。何も判らないという感じは在りながら、一方にはっきりと、もう騙されて生きたくはないという気持がある。言葉をかえて云えば、もう騙されて生きていきたくはないからこそ、自身の一票の処置について、判らなさを痛感しているのである。
 明治以来つい最近まで七十年余に、日本の文化は極めて不健全な実体をもって来た。世界の多くの国々をみれば、人口の過半を占める婦人たちは、遙か昔に、自分たちの生活する社会の運営に参加している。そして、その自然な経過として、先ず身近な地方自治体への選挙、被選挙権の行使から、彼女たちの政治的発足をしている。イギリスでは一八六九年(明治二年)アメリカも同じ年。オーストラリアは一八九二年(明治二十五年)婦人の公民権が認められた。第一次欧州大戦の終結した一九一八年(大正七年)、イギリスは人民代表法で婦人の参政権を認め、小さいけれども文化的に水準の高いノルウェイは、それより早い一九一三年に完全な婦人参政権を実現した。ソヴェト同盟が、生産と公共的な勤労に従う男女の生活権を尊重して、十八歳以上の男女に等しく選挙・被選挙権を与えていることは、周知のとおりである。
 日本の歴史は、惨憺たる進歩性の敗退の跡を示している。明治維新によって、名目上の民権が認められ、新しい日本を建設しようという希望に燃えた一団の人々は明治十四年(一八八一年)自由党を結成した。有名な中島湘煙(岸田俊子)が十九
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