ば港を出た船のようなものなのだから、それがそれぞれの風を受け、波におくられることは当然であり、作者としての私は直接作品との関係でその評について何か云おうとは思わない。けれども、武田氏の評の終りの部分は何かそこに現代日本の文学、武田氏から考えられている小説の問題が現れていて、今日の生活感情と文学のリアリティーの問題として感興を動かされるものがあった。
 文学として見た場合、日本の小説であろうと西洋の小説であろうとその作品の中で描かれている人間が単に人形であるなら、その作品を佳作と云ったり出来ないことは明らかであると思う。又、日本の現実の中で日本の人間が動いている小説を、外国小説ならばという仮定で云えないことも自明であるから、武田氏が云いたかったところは、自身書かれた文章のそういう矛盾のうちにふくまれている、日本の小説の性格形成の過程は西洋の小説とちがうということにある、作家の現実への態度について一個の芸術家としての感じかたであったろう。

 この間うち、散文精神というようなことが考え直され、論議された。この散文精神という表現は武田さんが三四年前云い出されたことで、云い出された心持には、現
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