会では次第に自分の教養を活かすような勤め口を見つけることがむずかしくなり、それは自身の書く便利のためにとった選択であると思いこみつつ、実は客観的な力に押されて、最も不熟練工的な厨房での仕事によって賃銀を得なければならなくなっているのが、社会の荒い波の間につきはなして観たところの事実なのではなかろうか。
私は、むしろ「白道」の作者が、先ずその現実にある一人の女としての自身の姿を見きわめ、それを文学作品に生かされることを切望してやまない。「恥と見栄をすてて労働を厭わなかったら」書くために命をつなぐことは出来ようと作者は書いている。人間がそれぞれの価値を十分発揮して生きうるような社会でないことは、社会機構の罪である。わたし達が女とし、作家として真に恥ずべきは、文学的労作をもふくむ現実の生活の中でその矛盾の探求を放擲したり、生活そのものは人間として当然憤懣を感じるべき種類の重圧の下におかれていながら、今日では未だ支配的な階級の文学に作家的努力の方向で無内容に追随し、文学のブルジョア的な偽態で屈服したことによって、実際は自身の皮膚にまでこの社会に於ける多数者としての窮乏が滲み出しているのにもかかわらず、遂にその現実から目を逸そうとする卑屈に陥ること、そのことをこそ恥としなければならないのではあるまいか。
作者が、これらの点について、はっきりしたものを一つ腹にいれてかかりさえすれば、現在の、他人の台所から穴蔵のような四畳半の往復も、あながち誤った生活形態と云い切ることも出来ないのではないかと思う。そういう生活の時期に、作者は過去の生活によって得た見聞を文学作品としてまとめることも出来るであろうから――。
先頃、私は、或る同人雑誌が、作家と生活の問題について諸家の意見を求めているのを読んだことがあった。
作家が生活難をどう考え、どう解決してゆくかという問いであったと思う。それに答えている松田解子氏の言葉が心にのこった。松田さんは、作家の経済的窮乏の根源は社会的なものであると思うから、自分はそれにめげずに創作をして行くつもりである。創作してゆくことによって窮乏の実体をも正しく理解し得るようになるであろうと信じている、という意味の言葉であったと覚えている。
この場合、松田氏は、自身の創作的態度をますます今日の現実の核心に触れ、作品を通じて更に現実に働きかえす力をもつものとするよう、階級的な作家として必要な鍛練を自身に課す気組みにおいて云っておられるのは明らかなことと思う。
この短い文章が、おのずから私にこれらのことを云わしめた何人かの知られざる「白道」の作者の発展のために、実際的な小さい役に立つことがあったら、私は大変嬉しいと思う。
[#地付き]〔一九三四年十一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「婦人文芸」
1934(昭和9)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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