をする人というのとは異った役割をもっているし、その関係で娘さんは見つくろわれる側にまわることも微妙な作用である。西洋の女のひとは、見つくろって下さい、という感情を人生のいろんな局面でずっと少ししか持っていないような生活の姿である。
 この頃は不思議な世の中で、本屋が見つくろいの注文を受けた話をまたぎきした。或る本屋へ電話で、もしもしこちらはどこそこですが、本を四十円ほど届けて下さい、という若い女の声である。本屋は腑に落ちなくて、しかし四十円ほどという響もはっきり耳にしみたのだろう。承知しましたが、本はどんな種類のにしましょうか、とききかえした。すると、一寸お待ち下さいと引こんで、又電話口での返事は、わかりませんから何か見つくろって四十円ほど、と云うことであった。
 そこで本屋はあれこれを風呂敷につつんで行って見たところが、そこは新築したばかりの邸宅で、西洋間の応接室に堂々たる書架がついている。が、そこが空っぽで入れるものがないからという注文であったことが判明した。
 本屋は早速見つくろって幾通りかの本をその書架につめたら、金額は四十円を超過して二百円ばかりかかった。しかし、その新邸の主
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