ている。

        黒子だらけの顔

 いま住んでいる家で二階の南縁に立つと、幾重か屋根瓦の波の彼方に八年ばかり前にいた家の屋根が見える。その家も南向きで、こちらも南があいているから、ひょっとした折、元の家の二階の裏側の一部を眺める工合になっている。そこには目じるしのように一本のヒマラヤ松が聳えている。
 その家に住む前には、同じ高台のつづきではあるがもっとずっと女子大よりの処に暮していたことがあった。隣の奥さんが女のおくれ毛止めを発明したとかで、門には石柱が立っているその家の庭の方では絶えずモーターの音がしているし、エナメルの匂いが苦しく流れて来た。
 どの家へ移った原因にも、みんな夫々の生活の時代が語られているのだけれど、その老松町の家に暮した時分、忘られない犬のことがある。
 音羽の通りへ出るに、大塚警察の横のひろい坂をよく通った。もう十四五年にもなるから、代が変っているかもしれないが、その坂の下り口の右側に、一軒門構えの家があった。坂の中途の家というのは何となく陰気なものだ。そこも門から八ツ手などの植った玄関までだらだら下りになっていて、横手に見える玄関の格子はいつもし
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