まっている。細長い踏み石がしいてあるその門と玄関との間のところに、犬小舎が置かれていて、そこに一匹の洋犬が鎖でつながれて暮しているのであった。
 毛並の房々したその犬は全身が白と黒とのぶちなのだが、そのぶちは胡麻塩というほど渋く落付いてもいず、さりとて白と黒の斑というほど若々しく快活でもなく、中途半端に細かくて、大きい耳を垂れ、おとなしい眼付で自身のそのようなぶちまだらをうすら悲しそうに臥て往来を見ている。
 黒子の多い女の顔でもみるような、人間ぽい生活の気分がその犬の表情にあるのであった。
 秋雨の降っている或る日、足駄をはいてその時分はまだアスファルトになっていなかったその坂を下りて来た。悲しそうな犬の長吠えが聞えた。傘をあげて見たら、そこは、例のぶちまだらな犬のいる家の前で、啼いているのはほかならぬその犬なのだったが、何となし人の足を止まらせる姿でないている。坂の方から門内へ流れる秋のつめたい雨水は、傾斜にしたがって犬小舎の底をも洗い、敷き藁をじっとりぬらしている。
 ぶちまだらの犬は首から鎖をたらしたまま、自分の小舎の屋根の上へ四つ足で不安な恰好に登って立っていて、その不安さがやりきれぬという啼きかたをしている。
 往来の方へ、黒子の多い女の顔のようなその顔を向けて、啼いている。今のさっき啼きはじめたのではない啼きようだのに、家のなかはコトリとも物音をさせず、屋根の瓦も羽目の色も雨に濡れそぼったまま二階の高窓はかたく閉っている。ぶちまだらの犬は雨で難渋しているというばかりではなく、その難渋のありようのうちに耐えがたい何かがあって、それが啼かせるという風に、なきながら小舎の屋根の上で絶えず蹠《あしうら》をふみかえているのであった。
 佇んで傘の下から見ていたが、そんな玄関前の雰囲気で生活というものをやっている家の人々の気持も、受け身の形でそれをうつしているようなぶちまだらなその犬の佗しさも、そこの雨の中にある全体の有様は哀れさと腹立たしさとを交々に感じさせるのであった。
 その日はそうやって通りすぎた。それからあと、雨が降る日には、道のそっち側へいつも傘を傾けるようにして足早に通った。犬はずっと、雨が降りさえすると、やっぱりそこで小舎の屋根の上へ登って、黒子だらけの女のような顔をこっちへ向けては啼いているのであった。

        朝のコリー

 十年ぐらいの間に、その界隈の様子は随分変って来たのだが、特別この一、二年に新しい屋敷がどんどん出来た。坪二百五十円であるとか、それではこの辺一帯の地価に対して高すぎる、だから売れない。そんな噂があって、区画整理した分譲地もそこここまばらに住む人が出来ただけで数年が経過していた。すると、一昨年あたりから、地価の方はどうなったのか知らないが、今まで草蓬々としていた四角や長方形やらの空地の上に、いろいろな形の家が、いずれもとりいそいだ風にして建てられて行った。分譲地の九分通りに、そうして家が出来た。
 もとその一画は某という株屋がもっていた林や原っぱであった。
 子供の自分、××さんの原っぱの奥で、運動会があるというので見に行った覚えがある。日向の芝生に赤い小旗がヒラヒラしていた。あそこへ××さんの唖の息子も来ている。そう云って集っていた近所の人々は目ひき袖ひきした。
 そこの家には三代唖のひとがいたとか、三人の男の子が唖だとか、それに何か金銭につながった因縁話が絡んで、子供の心を気味わるく思わせる真偽明らかでない話が、その時分きかされていたのであった。
 今のこっているのは、原っぱの奥の崖下にあった池のぐるりだけで、そこは分譲地にはならないから市の小公園になった。崖下は住みての種類がまるでちがっていて、崖下の家々の男の子らはよろこんで、夏はタモをもって来てその池のぐるりを駈けまわった。合歓木《ねむのき》がその崖に枝垂れて花咲いたりする眺めもある。
 外国の住宅区域というところを歩くと、たとえ塀はどんなに高くていかめしくても、そこに何か風流な工夫がほどこされてあって、思いがけぬ透格子や鉄の唐草の間から、庭のたたずまいが見えたりして、一つの街の風景をもなしている。
 その界隈にこの頃たつ家は、いずれもぐるりをコンクリートの塀で犇《ひし》とかこって、面白いこともなさそうに往来に向って門扉も鎖してしずまっている。だが、昔ながらの木と土と紙でこしらえた家のまわりだけをそんないかめしいコンクリートでかこってみるのはどういうのだろう、そこには奇妙な感じもある。
 夏のある朝早く、やはりそういうコンクリート塀の横を歩いていた。その塀は長くてなかなかつきない、一丈もあるその塀よりもっと高く繁っている樹木の枝が上から房々と垂れて、その片側もやはり塀であった。細い一本の道がそこを通って坂の下へと向っ
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