れたのであったと思う。そこには、いかにもくすぶられた向上心と、女のある意味での消極なすねかたがあると思われる。何故なら、結婚はしたくないが子供は欲しいという表現は、半面で男性の在来のものの考えようをこばみながら、その半面ではいっそう無防衛に男に対する自分の女としての性をひらいているわけであり、そのことで何か女性の新しい積極さがあるようによそおいながら、本質は、そういう目新しさにひかれる男性の感情をあやしているのであるから。
本当の社会生活の成長という点で、この表現は何も解決する力は持っていないものであった。
結婚はしたくないが子供は欲しい、という風な一見激烈そうな女性の抗議の擬態と、子供を持つために結婚はするものだ、という一見堅実そうな昔ながらの態度とが、その実は背中合わせにくっついていて、どちらも私たち人間の生の意味は一歩から一歩へと成長をうけつがれるべきもので、自身の世代にどこまでそれを達成させたかということこそ、生涯の課題であることをまともにしっかりつかんでいない女性の低さやもろさから生れているのは、何と考えさせられることだろう。
私たちの歴史は、親から子供が出て来ていると
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング