だろう。
優良馬の媾配であるならば血統の記録を互に示し合って、それでわかると思う。人間の男女の結婚は、共同的な生活の建設であり、生活は複雑をきわめるものであって、永い歳月にわたって互が互の真実な伴侶であるためには、人間としての結びつきが深い土台となってくる。真の優生結婚は、肉体の条件の優秀さとともに精神の愛のゆたかさ、つよさ、活溌さにおいてもひいでたものでなければならないと思う。健全な結婚ということの実際は、十人の子供を持ったという結果からだけではなくて、その子供たちの父と母とが終生人間としての向上心を失わず、父は旧来の男の習俗におちず妻に対して誠実であるということからも見られて行かなければならないだろう。
それだのに、何故今日の結婚論が、早婚の必要と優生知識を説くにせわしくて、結婚を真に生活たらしめてゆく肝心の理解や愛の問題をとばして行っているのだろう。そこのところが、何か今日の結婚論にうるおいのたりない、人間の優しさや深味の少い淋しさを与えているのだと思う。
現代の考えぶかい人たちは、十九世紀のロマンティストのように結婚は恋愛の墓場であるという風なものの見かたはしていないのが現実だと思う。
恋愛の感情にしろ、天を馳ける金色雲のようには見ていないと思う。もっと、私たち人間が自然に生きてゆく毎日の感情のなかにある一つのものとして、互の理解に根ざした生活的なものとして感じていると思う。まじめなつつましい心のすべての若い人々は、架空の恋愛を求める気はなくても、互にわかりあえるあいてというものを見出して結婚したいという切実な願いはいだいていると思う。そして、そのようなわかりあえるあいてとして互を見出したとき、互に感じる魅力の飽きなさと、調和と、求めあう心などこそ恋愛の精髄で、それは結婚生活の永い年月を経ていよいよ豊富にされ、高められてゆくものだと知っているだろうと思う。
子供を産む、ということが女性にとって決して行きあたりばったりのことではないというところから、逆に、ホーソンの小説の「緋文字」のような悲劇もひきおこされて来た。
今日、産めよ、殖えよということにつれて優生結婚がいわれているとき、そこに達する過程として互の愛や理解のことが知らず知らずのうちに省略されているのは、目前の必要が性急であるのとともに、やはり日本の旧い習慣の影響だと思う。今日の空気のうちで
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