いうだけで正しくうけつがれるとはいえない。その親がどのように自分たちの世代を熱心に善意をもって生きて、その子らのためにどんなより美しい、よりすこやかな社会の可能をひらいてやろうとして精励したか、我が家一つの狭い利己的な封鎖的な安泰の希願からどんなに広い、社会や、世界の生活への理解と、その中で自分の存在について、つつましいながら、確信をもって生きられるように次の世代を愛しはぐくみ、勇気づけ、より多くの叡智をつたえて行ったか、そのことでこそ世代の意義がはかれる。
 女性のうちなる母性のこんこんとした泉に美があるなら、それは、次から次へと子を産み出してゆく豊饒な胎だけを生物的にあがめるばかりではなくて、母が、愛によってさとく雄々しく、建設の機転と創意にみちているからでなくてはならないだろう。
 今日の若い女性たちが、自分たちも母になって行くという事実に対して積極的であり、抵抗の感情を持たないというのは、よろこぶべきことだと思う。その女性たちが、子供を生んだということだけで、人生への責任は終ったのでない。そのことによってさらに始まるのだということさえ知っているならば。
 私たち女性、女はどうもといわれるその女がとりもなおさず母だということは、何と面白いことだろう。女性は母であるという事実が一人一人の女性にしんから実感されるならば、女性がこの社会に働きかけてゆく活溌さは、もっともっと横溢的であっていいと思う。
 きょうの若い女性たちが、明日は立派な乳房とつよい腕と年毎に智慧の深まるしっかり優しいまなざしを持つ母たちであろうとするならば、それらの女性が自分たちとその子のために、社会に必要なあらゆる施設を、それが住宅と産院であるにしろ、托児所や子供公園であるにしろ、食堂であり、洗濯所であるにしろ、自分たち女性のもの、つまりは息子や娘たちのものとして、一つでも多く持てるように骨折っていいのだと思う。
 母たる義務が示している権利によって、女性と子供の生活の事情があらゆる職能の場面で大切にされ、理にかなった扱われかたをするようにして行かなければならない。
 そしてこれらの現実のいとなみが、いろいろの事情からそうやすやすと実現しにくいことを決して知らなくはない今日の女性たちであるならば、母という生の道でへてゆく日々に、その伴侶である男性との間の理解、共感、協力がどんなに大きい影響をもっ
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング