白だけで全部を表現する版画家の人生に対する感情にさまざまな点から新しい興味を喚起されたし、文化の程度の低い民族あるいは社会層の者ほど原色配合を好み、高級となり洗練された人間ほど微妙な間色の配合、陰翳を味わう能力を増すといわれているありきたりな概括にまで思い及んだのであるが、今度は立場を逆にして、画家はどの程度にまで自分の絵を鑑賞しようとする人々の生理的な条件――その疲労とか休安とかの実状を考慮に入れているであろうかと、こと新たな省察を深められた。
 勤労階級の生活感情を反映するプロレタリア絵画の領域で問題とされたのは、先ず第一に絵画の主題、題材の社会性であり、色彩はそれらのものに応じて自ら選択される必然性の範囲においてとりあげられていたように思われる。新しい理解で芸術におけるリアリズムが提唱された場合にも、持ち出されかたはほぼ同様であった。
 私には、自身のその経験――色が分っているがその色として感情にまで感覚されなかった時のおどろきが、その原因となった疲労から恢復した後も忘られなかった。そして、しばしば考えた。勤務する大多数の男女は激しく長い時間の労働によって疲れ、恐らく想像している
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング