ろに根本的な出発点をおかれ」ていると説かれているのである。
 ブルジョア文化史のある一定段階の現象として過去三、四年来の日本の作家の間に著しく現れた文章道[#「文章道」に傍点]への関心・熱中にともなわれ、心理学者がその分析・整理・理論づけに着手されるようになった一例として、私は、この著者の努力に冷淡であり得ないのである。が、はたして、この著者によって示された現代文章学発生の必然性の説明が、作家[#「作家」に傍点]という包括的な言葉どおりの意味で、あらゆる作家の創作的欲求を代表しているであろうか? ゴーリキイが作家を呼んで「心の技師」といっている。心のいきさつを描きたいことは全作家のひとしき願望ではあるが、著書もそれが社会性乏しくきわめて個人的なものであることを認めている反省的心理叙述を、横光利一のみでなく、私も一人の作家として同じく念願していると推定されるとすれば、それは現実の事情からはなはだ遠いのである。
 心理学者は、たとえば、著者自身にふれている重要な事実――現代の一部の作家が心の内部へ内部へと掘り下げてゆく過程の叙述をのみ書きたがっているという現象について、それがいかなる心理的
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