芸術が必要とする科学
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)樟木《くすのき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)へちま[#「へちま」に傍点]の黄色い花も
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          一

 去年の八月頃のことであった。三日ばかり極端に暑気のはげしい日がつづいた。日の当らないところに坐っていても汗が体から流れてハンケチなんか忽ち水でしぼったようになった。その時の私の生活状態は特別なもので、その暑中に湯を浴ることもできなければ、櫛で髪をとかすことも自由にはできない有様であったから、大変に疲労した。胸の前で、自分の汗に濡れたハンケチをくるくるとまわしてやっとあたりの臭い空気をうごかし、蝉の声さえ聞えて来ることのない日中を過ごした。
 そういう日のある午後、私は風通しのある二階の一部屋に出され、窓ぎわにあるテーブルに肱をかけて、何心なくそとの景色を眺めていた。窓から見える青空は、広々として雲一つなく日光に燃えあふれている。青桐の茂った梢が見える。乾いた屋根屋根が高く低く連なっている。路地の奥に一本の樟木《くすのき》が見え、その枝に這いのぼったへちま[#「へちま」に傍点]の黄色い花もいくつか見える。
 疲れた頭の中までを風に吹かせるような心持でそれらの外景を眺めていた私は、ふと一種異様な愕きを心に感じた。それは全く変なことであった。自然の景物が黒と白との二色にしか感じられていないという自覚は。それで一層気をつけてみると、そうやって、しおたれ浴衣を着た私は空が燦々した真夏の青空であることを理解し、青桐の葉がふっさりとした緑であることも知ってはいる。誰か人がいて、この空は何色かと訊いたら、私は碧い空だと答えただろう。青桐は? といわれたら、葉は緑と返事しただろう。が、私の感覚は、空は淋しく濁った一面の白に感じ、その前に聳えている青桐の梢は泥絵具のような重い黒で感じているのであった。神経の疲労のこの現象は、短い瞬間に非常に多くのことを私に暗示した。
 肉体の疲労が、こんな工合に色彩に対する感覚に作用し、われわれが頭で知っている色感と現実の感覚的反応との間にこんな分裂が生じるということを自分の体で味わったのは、私として生れて初めての経験であった。私は自分の異常な感覚を感じ観察しながら、画家の生活というものを考えた。黒と
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